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●奥州総奉行 おうしゅうそうぶぎょう

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 鎌倉時代のはじめ,奥州統治のために特設された行政官。二人並んでいたので両奉行ともいった。1189年(文治5),源頼時は大軍をひきいて,奥州藤原氏を攻め滅ぼした。頼朝は同年9月24日,御家人の葛西清重に「平泉内検非違使所管領」の事を命ずるとともに,さらに「別(こと)なる仰せ」をもって「奥州条々の事沙汰」をも命じた。他方,頼朝は,1190年(建久1),奥州留守職(るすしき,国司の現地代行機関)が平泉側に立って反鎌倉の行動をとった時を機にこれを改替し,伊沢家景を新たに奥州留守職に任命,国府にとどまって「先例有限の国事の勤め」にあたらせた。後世,葛西の主として奥州検断にあたる沙汰権と,伊沢の民政沙汰権とをあわせて奥州総奉行というようになった。家景の子孫は留守氏を称する。両氏の高雄支配はまもなく名目化し,総奉行の名も行われなくなるが,名誉の門地は長くつづいた。

〔参考文献〕高橋富雄「奥州惣奉行について」1950,『歴史』第2集