●欧化政策 おうかせいさく
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明治10年代後半から20年前後にかけての日本近代化政策一般であり,制度・風俗などをヨーロッパ化する政策をいう。これはとくに明治政府の一大目標であった条約改正の急速な実現をめざすものであった。1880年(明治13)外務卿となった井上馨を中心に,日本の外面を欧化して,欧米に近代化を認めさせようとし,鹿鳴館に象徴される,官僚・貴族と外国使臣との外交や,官庁庁舎の新築,キリスト教の奨励,宮廷はじめ上流社会の生活の洋式化,あるいは羅馬字会・演劇改良会・風俗改良会・衣服改良会・かなの会などの「改良」運動団体に代表される文化面での皮相的な運動である。しかしこうした政策的に演出された時代風潮に対して,自由民権運動家・民友社社員・国粋主義者たちは反対運動をおこし,これにより1887年(明治20)条約改正交渉は中止の憂き目をみ,また,1889年(明治22)の大隈重信の遭難を境に,欧化政策は漸時衰え,国粋主義の風潮がこれに代わった。