●王懿栄 おういえい
アジア 中華人民共和国 AD1845 清
1845〜1900(道光25〜光緒26)清末の政治家・学者。字は正孺(廉生)。山東省福山の出身。1880年(光緒6)に進士に及第し、翰林院庶吉士となり、編修・侍読をへて、国子監祭酒となった。1900年(光緒26)、義和団事件に対して列強の連合軍が北京に侵攻したさい、侍郎李端遇とともに団練大臣に任じられ、北京の防御にあたった。官廷をあげ 西安に亡命するという状況のなか、彼は義勇軍を率いて連合軍の侵攻を防ごうとしたが、ついに事敗れ、毒を飲み井戸に身を投じて国難に殉じた。死後、その功によって侍郎の官を贈られ、文敏と諡(おくりな)された。彼は『書経』や金石学に優れた当時一流の学者として名を成したが、とくに1899年(光緒25)に食客の一人であった劉鶚(りゅうがく、字は鉄雲)とともに甲骨文を発見し、その収集につとめたことは特筆される。彼の収集した甲骨1,000余片は、死後その大部分が劉鶚の手に移り、最初の甲骨資料集である『鉄雲蔵亀』(1903、光緒29)のなかに収められ、世に紹介された。