●王安石の新法 おうあんせきのしんぽう
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【新法の意味と断行の背景】神宗朝に王安石が断行した革新政策の総称。中国では唐末五代を経過するあいだに従来の貴族政治に代わって官僚制君主独裁の政体がつくられた。しかし官界・財政・社会・外交などの面に諸種の弊害が蓄積し,黄金時代と謳われた仁宗時代でさえ,早くも王朝末期的現象がみられた。王安石はその内容を万言書のなかで,社会秩序の紊乱・夷狄からの恐怖・財政の破綻・官界の腐敗の4項にまとめて指摘し,政治改革の断行は一刻の猶予も許されないと訴えている。
具体的内容は,社会秩序の紊乱は政治悪や社会悪の影響で,人民のl0分の1に及ばない数の大富豪と,10分の9以上に及ぶ貧民の両極に分解し,盗賊は毎月のように発生し,適当な野心家さえ現れれば今にも覆滅の危機であると警告し,外交では東北の契丹,西北の西夏などの新興勢力の谷間に挟まれたような惨めな三角関係の状態に陥り,財政は軍事費や官吏の急増,帝室費の増加などで火の車である。対内対外の諸政策は行き詰まっており,官宮界では無駄な人員が多く,第3代真宗朝には早くも余剰の官吏が19万5000人以上になっている。その上に賄賂などの悪事が横行して,これらの現象はすべて人民の信頼を裏切るものだと説明している。
【新法の種類と性格】新法の大部分は王安石が参知政事に抜擢されたときに設置した制置三司條例司で企画されている。それらを年代順にあげるならば,均輸法(1070年,煕寧2)・青苗法・農田水利法,保甲法(1071年)・募役法(免役法),市易法(1073年)・保馬法・方田均税法などである。これらはどれについても,濃淡の差はあるが社会政策と財政再建策を兼ねたものである。そのほかに人材養成を狙った学校制度や科挙制についての改革,財政再建に重点が傾いた専売制度の改革や外国貿易の振興策などがある。天役法も新法の性格づけに関係が深い。以上の政策で王安石が最も重視したのは青苗・市場・募役・保甲の諸役と和戎策であった。彼はこのことを指摘した後で,拙速にはしることがないように,関係諸機関を戒めている。新法の性格には王安石が当時経済発展の実体(貨幣経済的要素)を考慮して企画していること,積極的財政再建策の色彩が強いこと,貧民救済に力点を置いた社会政策的性格が強いこと,地域的には北辺と西北辺の五路地区に重点が置かれたこと,現実主義的・実利主義的性格が強いこと,相互に関連性があったことなどがある。これらは周礼・孟子などの精神の影響から生まれた政治理念に由来する。とくに均輸・青苗・募役・保甲・方田均税法などの,社会・経済・財政などに関する政策にこの傾向が強い。ただし社会政策か財政再建のどちらかだけを求めて,他方を無視するということはありえなかった。
【新法の経過と評価】新法は制置三司條例司が中書に吸収されても人物は残留したから,王安石の政権時代は継続施行された。そののちは新旧両党の政争と運命をともにしながら北宋末期まで断続的に施行され,実施範囲もひろがって行った。なかには後世にもその精神が取り入れられたものもある。評価については,新法党時代は評価され,旧法党時代は酷評を受けた。以後の旧中国時代には酷評が支配的であったが,新中国時代になってからは再評価されている。旧中国時代にも称賛者はいたがその数は微々たるものであった。批判された理由は新法が旧地主階層や大商人階層の利害に反したからである。しかし客観的には財政の再建,治安の回復,貧農の救済,対外的和平などで成果をあげている。蘇轍も司馬光が新法を止めたとき,募役法の長所を進言し,朱子も青苗法の精神に賛意を示している。キソウ※注1※朝でも華南で税の不均を是正している。しかし現地の提挙官に私利をはかる者があったり,中央の高官に不和感があって信頼を失ったのも事実である。
〔参考文献〕梁啓超『王荊公』1936,中華書局
佐伯富『王安石』1941,冨山房
東一夫『王安石新法の研究』1970,風間書房
『王安石事典』1980,国書刊行会
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