●王安石の学党 おうあんせきのがくとう
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【学統研究の重要性と宋元学案】王安石の学問・思想と政治理念には特徴があり,中国政治史の研究上その出自を知ることは大切な課題である。ところがこの究明は今まで試みられず,王安石研究史に新局面を開いた蔡上翔さえ困難性を訴えている。この究明は黄梨洲に源を発し清乾隆期の金謝山が『宋史』『永楽大典』などにもあたって100巻本に整理した『宋元学案』を参考にすることが便利である。【学統の検討法】『宋元学案』にも問題点がないわけではない。紛らわしい術語が使用されている点などはその格好な例である。それらを踏まえた上で,[1]王安石の名がみられる学案,[2]友人が配列されている学案,[3]政治的に関係の深かった官僚の学案などにつき,それぞれの関係,理由などを究明することによって学統を考えたい。
【彼の名がみえる学案】欧陽修の廬陵学案と荊公新学略がある。前者は曾鞏が欧陽修に彼を官界に推薦することをすすめた記事が中心である。これでは王安石の学問・思想が欧陽修の流派に属すると考えるわけにいかない。ただし欧陽修は宋代新学の創始者の一人であり,王安石も新学派であるから結びつきが考えられるが,学案にはこの点は記されていない。荊公新学略はおもてのところに“廬陵の門人”と記されているだけである。
【友人が記されている学案】友人には曾鞏・孫覚・韓維がいる。曾鞏は南豊の人で王安石と親家でもあり,たがいに尊敬し合った間柄で,終身変わらぬ友情を王安石に注いだ。学案は范伸淹(王安石の政治理念の一先導者)が属する高平学案と廬陵学案に名を連ねている。高平学案は新学の創始者たるコエン※注1※の安定学案と関係が近い(ちなみに王安石の父益は農政についてコエン※注1※に称賛されている)。孫覚は高郵の人で優れた春秋学者である。最終的には王安石と訣別しているが,初めのあいだは王安石の理念・人柄を神宗に推薦し,王安石も彼を新法推進者に選ぼうとした。新法党の李定を王安石に推薦したのも彼である。学案では安定学案に名を連ね,またこれに近い古霊四先生学案や栄陽学案にも属している。要するに経義による人間の理想指示,治事における批判精神の尊重という学風は両者に共通している。韓維は王安石の後輩にあたり,学統を考える上ではあまり意味をそなえていない。
【新法協力者の学案】協力者のおもな者に蘇轍・李常・テイコウ※注2※・劉彜・曾伉・トウジュンホ※注3※らがいる。蘇轍は蜀の人で條例司では検詳文字官という枢要な地位にあった。学案は蜀学案と廬陵学案に属するが,学問・思想や政治理念で王安石と共通点が多かった。李常は南康の人で孫覚・欧陽修に学んだ。呂公著らの推薦で新法に協力したと考えられる。学案は司馬光のソクスイガクアン※注4※に属するが,安定学案に近い栄陽学案にも属している。これらのことから王安石は李常を通してコエン※注1※との結びつきも辿られる。そのほかの劉彜・曾伉・ドウジュンホ※注3※らも安定学案・古霊四先生学案・高平学案などに属し,なかには王安石の理念の先導的役割をもつ范仲淹・李覯らの流れを汲む者もいる。以上のような諸例からして王安石の学統はコエン※注1※の安定学案,欧陽修の廬陵学案などからくる新学的傾向が強く,それらから学風を彼流に編み出したものと考えることができる。何となれば司馬光が7歳のころから早くも春秋学の講筵に臨んだというような資料に接することができないからである。
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