●円本 えんぽん
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1926年(大正15)から1929年(昭和4)にかけて流行した,定価1冊1円の予約刊行物の総称。予約頒価が1冊1円であったところから,円本と呼ばれるようになった。後には,大量生産による廉価の全集・叢書なども円本と呼ばれるようになり,この円本の盛んな時期を円本時代という。【円本出現の背景】1920年代初めは情勢の変動が激しく,新しい風俗・知識を取り入れてゆくことが評価され,雑誌の需要は大きいものであった。出版側にとってみても,ひとたび読者層を得たとなると,1号ごとに継続して買われていく利点もあった。1品ごとに売れゆきの変動の大きい書籍に比して部数の見込みが楽であり,ときには上昇カーブも予想できる。それに加えて,一定の価格のなかで,それに見合う分量や内容をそろえることも可能だったのである。そんな機能をもつ雑誌と同じょうに,書籍を低額のイメージで継続購読させることが要望されていた。それに応ずる形で登場するのが,最初の円本といわれる改造社の『現代日本文学全集』(1926)であった。
1919年に創刊された『改造』は三号雑誌で終わりそうであった。それが,社内の若い編集者にまかせたことにより急上昇を示すのである。しかし,社会主義と労働問題で短期間のうちに評論誌としての地位を確立した同誌も,1920年代半ばにまた,破局寸前となる。そんなときに社長である山本実彦は,社員の企画のなかに文芸選集のプランを見出した。
当時業界には独特の慣行が存在していた。それは,セットものの図書については,購入申込時に一巻分の定価を前納させて,最終配本の代価にあてるという販売法である。これは,出版側にとっては,初刊の支出の手形を割る前に読者から現金を手にすることができるという利点があった。また,小売書店にとっても,長期にわたって読者が確実に買いつづけるという良さがあった。これは雑誌以上の確実さである。この慣行にのって,改造社の廉価の全集は当たりをみせるのである。
【円本の種類】1926年に改造社が募集した『現代日本文学全集』(63巻,菊判)は,約23万部という予約をとった。これは不況であった出版界に異常ともいえる刺激を与え,たちまち他の出版社も,円本形式による全集類を争って企画・発行するにいたる。そして,いずれも多数の購読者を得たのであった。新潮社の『世界文学全集』の第1回配本である『レ=ミゼラブル』は50万部を超えたという。おもなものをあげてみると春陽堂『現代大衆文学全集』(60巻),平凡社『近代劇全集』(36巻),春秋社『世界大思想全集』(126巻),誠文堂『大日本百科全集』(42巻),吉川弘文館『日本随筆大成』(43巻),改造社『経済学全集』(64巻),日本評論社『現代法学全集』(39巻)など,100種類以上のものが現れ,また,個人全集にまでこの円本出版形式は及んでいた。
【円本の終末と影響】昭和初年代は,まさに円本時代ということができよう。この円本のブームは,意味のある全集そのものの廉価版の大量出版であり,新しい広範な読者層を開拓したこと,文化の大衆化をはかったこと,出版界関係の不況を打開したことなどの貢献を高く評価することができる。しかし一方で,出版資本の拡大による出版資本主義の樹立を招く結果となったことも確かで,広津和郎は,文学・文化が出版資本の意のままになる危険があると警告していた。
その後の出版界に具体的にもたらされたものはというと,1930年代に中央公論社が,『アラビアン=ナイト』のシリーズものを刊行することによって小売書店の対策を行ったことに現れている。そしてこの円本全集のラッシュは,改造社の『現代日本文学全集』の重刷分を含め,読者の相次ぐ返本・解約を招き,数年の後には,露店で“十銭内外のバーゲン品”として売られるほかはなかったということにある。円本は読者の欲求と出版資本とのバランスのみじかい蜜月であった。
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