●縁日 えんにち
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縁日の習俗は,その起源も由来も詳かでないという。もとより古来種々の説が行われたが,いずれも推測の域を出なかった。これは仏菩薩に因縁がある日というばかりではなく,その日は参詣結縁に最も適していると信じられた。『今昔物語集』には〈十八日ハ観音ノ御縁日也〉また〈月ノ廿四日ハ地蔵菩薩ノ御日也〉などとみえ,『古今著聞集』にも〈十五日十八日はあみた観音の縁日〉ともあった。いつのころからこの信仰が明らかになったかといえば,834年(承和1)に僧空海の奏上によって,毎月宮中仁寿殿に観音供を行って以来恒例となり,平安時代には絶えることがなかったという事例が顧みられよう。【縁日の成立】この習俗はおそらくいわゆる神仏習合の文化変容について,外来の仏教がわが国に受容されるための変質の一つと認められよう。神仏習合は従来もっぱら固有の神道の変容のみが取り上げられてきた。しかし仏教もまた本来の形態のままではありえなかったのである。古来わが国では恒例の日に有縁の人々が集まって,神を迎え祭ったのに対し,随時随意に参詣礼拝した仏菩薩に特定の会日(えにち)を設けるようになったと考える。この信仰の変化の線上に「開帳詣り」が成立する。寺院内陣の厨子に扉を閉ざして,平日には参拝を許さず,縁日もしくは開帳日を告示して,その日ばかりは善男善女が群集して参入することを認める。これは仏教信仰の大きな変化であろう。安置する寺での居開帳のほか,江戸・京都など繁華の都市へ出張する出開帳も中世以来始まった。縁日として一般に知られているのは,月の7・16日の閻魔,8・12日の薬師,15日阿弥陀・妙見,18日の観音,24日地蔵,28日不動などがあり,また子日の大黒天,寅日の昆沙門天,巳日の弁才天などもある。13日の日蓮,21日の弘法大師,25日の天神〈菅原道真〉などはその忌日が縁日となった。ここで注目されるのは,関東では一般にその当日を縁日とするが,関西ではもとその前夜を縁日として詣る風があった。
【縁日をめぐる習俗】縁日には多数の参詣人を予想して市・店が出現,境内門前に露店・掛茶屋が立ち並んだ。市立は元来付近の百姓が構成し,物資の交易・売買が行われた。それがしだいに大道商人・香具師の出現を許し,演芸観賞や喫茶飲酒煮売まで自由になった。近郷の社寺の縁日・祭礼に巡回して店を張り,博徒の勢力が縄張と称して,独占収益することさえほしいままにさせた。縁日商人には傘をさしかけた小物,組立屋台をもつ三寸,大道に蓙を敷いて商いするころび,植木専門のぼく,興行師の引張など業態の別ができた。市・店はやがて門前の村屋・町屋に発展するところも少なくない。ことに江戸時代はその事情がやや詳しく知られた。なかでも江戸浅草の観音詣りは繁盛して,18日の縁日のほかに,7月10日は前夜から参詣が群集した。俗にこの功徳日に詣ると4万6,000日参詣に相当する利益があるという。このとき雷除けの守札を授けた。縁日詣り・開張詣りは都市の大寺の賑わいから,しだいに地方都市にも広がった。江戸市中の事情は『江戸繁昌記』や『武江年表』などからその盛況が窺える。東京では大正12年9月の震火災によって,都市生活に大きな変化があり,縁日詣りにも著しく消長があった。その反面銀座通りを初め各繁華な道路に,縁日を誘う寺社はなくとも,随時朝市・夜店の商人が立ち並ぶようになり,これをも縁日と呼び習わした。大正年間まで東京の旧市内で縁日と称する賑わいは1カ月におよそ340所といわれ,なかでも人形町の水天宮・虎ノ門の金毘羅・銀座の地蔵・牛込の毘沙門などは名高かった。大阪でも太平洋戦争前後では大きく縁日詣の風俗は変化したというが,これは各地とも多かれ少なかれ共通した傾向であった。盛り場の成長が信仰の力を借りずに独立して行われたのである。
〔参考文献〕若月紫蘭『東京年中行事』1968,平凡社
斎藤月岑『東都歳事記』1970,平凡社
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