●塩鈔 えんしょう
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中国,宋の塩専売制度下において,政府が塩商に支給した証券。宋の専売制度には権塩法(官売法)と通商法があり,権塩法では政府が塩を販売したが,通商法では,塩商に塩を払い下げ,区域(行塩地)を定めて販売させた。塩鈔に関係をもつのは通商法である。塩商はまず京師のカクカム※注1※に赴き,貨幣を納入して塩鈔の支給を受け,産塩地にこれを持参して現物を支給された。すなわち塩鈔は塩の払い下げを約束した証券(塩交鈔)であり,大別して解塩鈔(解池の塩を支給)と末塩鈔(淮浙地方の海塩を支給)の2種があった。解塩鈔は1048年(慶暦8)范祥の改革により,陝西の9折博務で発行することとし,これを沿辺地区の軍糧調達に利用した。すなわち商人をしてこれらの折博務に貨幣または糧草を納入させ,その代償として,解塩鈔を支給したのである。なお解塩鈔は京師で有利に貨幣と交換もできたので,しだいに有価証券としても利用されるようになり,その発行額面高は400万貫に達した。金の南侵によって解塩地域は奪われ,北宋の滅亡とともにこの制度は消失した。末塩鈔は宋代を通じて京師カクカム※注1※より発行され,本来の役割のほか,一種の有価証券として利用されたことは解塩鈔と同様である。発行額もしだいに増加し北宋末期には1,000万貫を超えていた。末塩鈔の役割で注目すべきことは,徽宗(きそう)の時代における鈔法の改革である。それ以前の塩鈔は塩の払い下げ証券であったが,この改革後,塩の払い下げにさいし,さらに一定額の貨幣を追加支払いすることとし,また塩を入手した塩商には塩販売許可ともいうべき引(塩引)を交付した。なお南宋においては紙幣が発達したため,末塩鈔の有価証券的な役割は衰えた。
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