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●袁術 えんじゅつ

アジア 中華人民共和国 AD 

 ?〜199(建安4)中国,後漢末の群雄の一人。汝南郡汝陽(河南省商水県北西)の人,字は公路。司空袁逢の子で袁紹の従弟。袁氏は四世にわたり三公を出した名族で,術も孝廉に挙げられ河南尹,虎賁中郎将などを歴任した。何進の宦官誅滅の謀にあずかり,進の死後袁紹とともに宦官を滅した。董卓が洛陽に入ると南陽に逃れ,孫堅を部将として董卓を討って名声をあげた。袁術は袁家による帝位さん奪をめざし,劉虞の即位を画策した袁紹と対立した。そのため袁紹と対立していたコウソンサン※注1※・劉表と結んだが,袁紹側の曹操に敗れ揚州に逃れた。献帝が曹陽で呂布の部将に敗れたことを聞き,さらに部下が袁術の天子となる瑞兆を告げると,197年(建安2)九江で帝位を僭称し,国を仲家と号した。しかし袁術は,好色・奢移で統治能力にも欠けていたため,わずか2年と国を保ちえず,呂布・曹操にあいついで敗れ,袁紹に帝位を贈り,これを頼ろうとしたが,途中で発病し血を吐いて死んだ。

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