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●エンゲルス

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 1820〜95 ドイツの社会主義者,マルクスと並ぶマルクス主義の共同創始者。多方面の理論活動とともに,国際的な社会主義・労働運動の指導にあたる。

【思想形成】紡績工場主の子としてライン州バルメンで生まれる。父の強い願いで1837年ギムナジウムを中退し,商人としての修業にはいる。そのころ,自由主義的な文学潮流,青年ドイツ派に触れる。ベルリンで志願兵として服務中,ベルリン大学で聴講し,ヘーゲル左派グループと接触する。このころから革命的民主主義者の道を歩み始めるが,まだフォイエルバッハ哲学的唯物論の影響下にあった。1842年にエルメン=エンゲルス商会で修業のためマンチェスターに赴き(1848年まで在英),イギリスにおける労働者の貧困や労働運動の現実に触れるなかで,思想的理論的深化をはかる。そして『経済学批判大綱』(1844)や『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845)を公刊し,マルクス主義的経済学説の見地を示す。他方,1844年にパリ亡命中のマルクスと出会い,終生変わらない協力関係が始まる。『神聖家族』(1845)や『ドイツ・イデオロギー』(1845/46)を共同で執筆し,弁証法的史的唯物論の見地が練り上げられた。また実践面においても共産主義者同盟の組織化と指導にたずさわる。この同盟の委任をうけて『共産党宣言』(1848)が共同起草され,マルクス主義の階級闘争の理論と実践方向を明示した。

マルクス主義の普及と実践】1848年,ドイツ三月革命がおこると,マルクスとともに,急進的自由主義の党=民主派の最左派を形成しつつ,「新ライン新聞」に論陣を張る。とくにエンゲルスは西南ドイツにおける蜂起には,革命軍の副官として参加。蜂起の挫折後はロンドンに逃れ,マンチェスターで商業活動にたずさわりながら,マルクスへの経済援助をつづける。『ドイツ農民戦争』(1850)や『ドイツにおける革命と反革命』(1851/52)は,ドイツの革命的伝統の解明や三月革命の批判的総括であるが,マルクス主義の歴史理論の具体的展開でもあった。また普墺戦争(1866)や普仏戦争(1870/71)に際しては,各地の新聞などに寄稿し,戦争の経過や性格を論じ,軍事問題についての優れた理論家・ジャーナリストとして注目される。これらはマルクス主義軍事理論の基礎を築いたものといわれている。1864年,国際労働者協会(第1インターナショナル)が創立されると,参加し,国際的に非マルクス主義的潮流と激しく争う。ドイツにおいても,労働運動内部の有力な流れであったラサール主義と対決し,社会民主労働者党の創設(1869)と強化をはかった。1870年には第1インターナショナルの総務委員会メンバーに選ばれたこともあって,商業活動から離れ,理論と実践の両面にわたる活動に専心する。そして各国における大衆的な労働者政党の支援やマルクス主義の普及にたずさわる。『反デューリング論』(1878)は,この時期の重要著作であり,マルクス主義における哲学・経済学・歴史学の包括的叙述となっている。後年,この書物をもとにしてつくられた小冊子『空想から科学への社会主義の発展』(1880)は,宣伝用パンフレットとしてマルクス主義の普及に大いに役立った。また,これらの著作と前後して『自然の弁証法』の仕事が進められていた。これは,自然科学の発展に対応した,マルクス主義の自然観・自然科学論であるが,その草稿は完成にはいたらず,公刊されたのは1925年であった。マルクスの死(1883)ののちには,その遺稿の出版や国際労働運動の指導が,エンゲルスの双肩にかかってきた。『資本論』第2巻が1885年に,第3巻が1894年に公刊された。また,このころ『家族,私有財産,国家の起原』(1884)が執筆され,マルクス主義における原始社会論が提示された。1895年,ロンドンで没す。

〔参考文献〕大内兵衛『マルクス・エンゲルス小伝』1965,岩波書店

H.ゲムコー編,土屋保男他訳『フリードリヒ・エンゲルス伝』1972,大月書店

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