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●延喜の治 えんぎのち

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 醍醐天皇が治政した延喜年間(901〜923)に活発化した政治をさして延喜の治という。当時,戸籍・計帳や班田制にもとづく律令支配は重大な危機に直面していたが,太政官の首班である藤原時平が強力な政治指導を行い,弛緩していく律令地方行政の励行をめざし,小農民を保護し,その一方で,律令支配を妨げる王臣家の在地における活動を規制することをねらい,しきりに官符や宣旨の布告を行った。著名な延喜荘園整理令は王臣家の活動を制肘しようとする政策の一環である。ただし時平が909年に死去すると,政治は再び沈滞してしまった。この延喜の治を,律令支配の原則に固執した復古策の最後の試みと評価できる。政治面で律令支配の再建はならなかったが,文化面では格式の編纂や国史の編修ないし『古今和歌集』の編纂が行われ,中流貴族の登用に関し,比較的公平な人事が行われるなどしたので,のちに中流貴族を中心に延喜聖代説が生み出され,摂関期以降の宮廷社会にひろまった。