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●エローラ石窟 エローラせっくつ

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 インド西部マハーラーシュトラアウランガバードの北西約25kmにあるインドの代表的石窟寺院址群。エローラは古名エールーラか,近くの村名ヴェールレーがなまったものである。丘の中腹におよそ南北に2〜2.5kmにわたって掘られている。石窟は東を背に西にむいて開窟される。窟院の数は大きなものだけで34あり,そのほかにも遺跡番号のついていない小窟が30近くある。窟院は南から北へ,仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教のそれと並ぶ。中でもヒンドゥー寺院が最も多く,アジャンタ仏教石窟寺院址群の代表とすれば,エローラはヒンドゥー教石窟寺院址群の代表といえる。南の第1窟から第12窟が仏教の石窟で,7〜8世紀の開窟。アジャンタ仏教石窟の後を継ぐ時期のものである。仏教窟唯一のチャイティヤ(祠堂)窟である第10窟は外観がヴィハーラ(僧院)窟に近く,内部でも高さ8mのストウーパ(仏塔)の前面に大きな5mほどの仏龕(ぶつかん)があり,初期のチャイティヤ窟の概念からはほど遠い構造である。他のヴィハーラ窟は房室が少なくなり,僧院としての機能が薄くなっている。第2窟と3層構造の第11,12窟は仏殿的性格が強い。第12窟は1階に3列の列柱が並び,中央ホールと左右の小ホールに仏陀の座像が,3階では仏陀坐像のほかに菩提樹をもつ七つの小仏陀坐像が置かれている。一方,第5窟は中央ホールの床に2条のベンチ状の掘り残りがあり,講堂とされる。仏塔・僧院・仏殿・講堂と仏教寺院の各要素がみられる。また,窟院のいたる所にある多臂像や女性像など密教系尊像の出現はすでにヒンドゥー教のなかへ取り込まれてゆく末期仏教の特徴を現している。第13窟から第29窟はヒンドゥー教寺院。石窟のほかに掘り出しの岩石寺院もある。開窟はおもに7〜9世紀,遺跡番号のない小窟はさらに後代にまでくだる。第16窟,カイラーサナータ寺院はカイラーサ山の主(あるじ)であるシヴァ神を祭った巨大な岩石寺院である。横穴式の他の石窟と異なり,幅45m,奥行85m,高さ約30mにわたって岩山を削り出し,窟内から外にみえている。寺院の型はパッタダカルのヴィルーパークシャ寺を模して,ラーシュトラクータ朝クリシュナー1世の命により757年ごろより開掘された。寺院は桜門・ナンディン堂・前殿・本殿と並び,すでにヒンドゥー寺院の形式をそなえ,周囲の岩壁には廻廊や付設の石窟を掘っている。全体に左右対称の構成配置をなしている。回廊には踊るシヴァ神,カイラーサ山をゆさぶる魔王ラーヴァナなど数々のヒンドゥー教の基本的図像の彫刻がみられる。最も早い時期に開窟されたとされる,簡素なつくりの第14窟でも,水牛の頭をした悪魔を退治するドゥルガー,踊るシヴァ,ラクシュミーとともに坐るヴィシュヌなどヒンドゥーの典型的図像の彫刻がすでに現れている。2層構造の第15窟は2階が祠堂となっている。第29窟はボンベイのエレファンタ島にある十字形プランで3方に入口をもつ石窟院に似ていて7世紀の開窟とされる広大な窟院である。これらのヒンドゥー教石窟,岩石寺院を飾る彫刻はグプタ朝後期の作風を残しながら,南インドに栄えたチャールキヤ朝・パッラヴァ朝美術の強い影響のもとにあるヒンドゥー教美術が生み出したものである。それらは仏教系石窟の彫刻・壁画と比べて,動きに富み,シヴァやヴィシュヌラーヴァナドゥルガーなどによる神話や神々の表現は初期のものから成熟したヒンドゥー教美術までをみせている。北側の第30から第34窟のジャィナ教窟は8〜10世紀ごろの開窟。第30窟は未完成の岩石寺院。第32,第33窟はともに重層構造をなし,ジャイナ教の24聖人の最後のマハーヴィーラを祭る。

〔参考文献〕佐藤宗太郎『エローラ石窟寺院』1977,佐鳥出版

高田修「インドの石窟寺院仏教芸術41,1959,毎日出版社