●エレトリア
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古代においてカルキスについでエウボイア第2の都市。アッティカのオロポスの対岸にあった。現在はネア=プサラという小村である。この都市の歴史は古く,すでにホメロスにも登場している。古典期のエレトリアは遅くとも前8世紀には建設されたと考えられる。良港を備えて早くから海外に発展し,アンドロス島やテノス島そしてエーゲ海北部などに多くの植民都市を建設した。しかし前7世紀初めころにカルキスとのレラントス戦争に敗れて肥沃なレラントス平野を失ってからは振るわなくなった。古くからイオニアのミレトスと同盟関係にあったので,イオニアの反乱に際して5隻の艦船を派遣して援助したが,おかげで前490年ぺルシアの報復を受けて町は破壊され,住民は拉致された。復興後第1回アテナイ海上同盟(デロス同盟)に参加するが,前446年離反し,以後アテナイのクレルキアとなった。ペロポンネソス戦争中に再びアテナイから離反し,前4世紀に第2回アテナイ海上同盟に参加した。しかしマケドニアのフィリッポス2世と結んでアテナイと対立(前349)。アテナイと提携しカルキスとともにエウボイア連合を結成(前341)。のちにマケドニアの支配がゆるむとボイオティア同盟に参加(前308)。要するに古典時代のエレトリアの歴史は弱小ポリスが大国の勢力争いのなかでいかにして生き残っていったかを例証してくれる。しかし前198年ローマ軍によって徹底的に破壊されてのちは,再び立ち上がることはなかったのである。