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●絵馬 えま

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 神社・仏閣あるいは田舎や町はずれの小祠・小堂に,祈願または報謝のために,馬その他の図を描いて奉納する絵。大別して専門画家が筆をふるった扁額形式の大絵馬,名もなき市井の画家や絵馬師・奉納者自身が描いた小絵馬がある。絵馬の起源については神と馬とのかかわりあいが根源となる。わが国では古くから馬は神の乗物として神聖視され,祈願や神祭に神の降臨を求めて生馬を献上する風があった。すでに『常陸国風土記』に,鹿嶋大明神に馬を献ずることになったのは,崇神天皇の時代からだと記しており,丹生川上(にうかわかみ)や貴布祢(きぶね)の社に黒毛の馬を献じて雨乞祈願,白毛の馬を献じて止雨祈願をしたことが『続日本紀』の763年(天平宝宇7)の条を初めてとして多くの文献に記載されており,そうした水の神に馬を献じて祈る習俗が広くあった。この生馬献上の風とともに,一方では生馬に代わって馬形(うまがた)を献上する風も生まれた。すでに『肥前国風土記』に下田村の土を採って馬形をつくり,荒ぶる神を祀ってこれを和らげたという興味ある記事がみえるし,『続日本紀』でも769年(神護景雲3)に大神宮および月次(つきなみ)社に馬形を献上したことを記しているし,随所に馬形献上の記事が認められる。これを証明するかのように全国各地からたくさんの土馬が出土しており,この土製馬形からさらに木製馬形から出現し,『延喜式』にも木馬献上のことがしばしばみえ,木馬は今日も各社に伝わっている。この馬形をさらに簡略化し馬の形を板でつくった板立馬が現れ,なおいっそう簡略化して絵馬が出現した。この絵馬奉納習俗も奈良時代からあった。その遺品は浜松市の伊場遺跡を初め,大和郡山市の稗田遺跡・山形県川西町の道伝遺跡・秋田県仙北町の払田柵遺跡から出土している。それらは今日の小絵馬と同じような小さい板切れで馬の図である。平安時代になるとかなり広い範囲に絵馬が存在し,『本朝法華験記』や『今昔物語』などにも絵馬奉納習俗にかかわる話が記されており,平安末から鎌倉・室町にかけての時代の絵馬奉納の状況は,『年中行事絵巻』『天狗草紙絵巻』『一遍聖絵伝』『春日権現験記絵巻』『不動利益縁起絵巻』『慕帰絵詞』などの絵巻物にもよく描かれている。実物遺品では,奈良の当麻寺の曼茶羅堂から発見された鎌倉時代の絵馬,奈良の秋篠寺の本堂から発見された応永・長禄銘の絵馬があり,室町時代の年紀銘のある絵馬は随所に伝わっている。ここで注目されるのは『天狗草紙絵巻』にみられる東寺や,当麻寺・秋篠寺を初め寺院に絵馬が奉納されたことである。それは平安末から神仏習合の思想がいっそう強化され,民間では神も仏も区別することなく,神に対する呪術儀礼が仏にまでおよび,また仏教に馬の信仰が導入されたからで,『宇治拾遺物語』にみられるように,観世音菩薩も馬に乗って示現するという信仰が広まったからであった。室町時代中期以降は,大型の絵馬もでき,専門絵師はもとより著名画家も絵馬に筆をふるうようになる。そして芸術的色彩をもつ扁額形式のいわゆる大絵馬があらわれ,桃山時代からはことに豪貴な絵馬が出現し,ここに絵馬を掲げるための特定の建物,絵馬堂の成立をみる。現存絵馬堂で最古のものは1606年(慶長13)豊臣秀頼が造営した京都北野天満宮の絵馬堂である。そこに掲げられた絵馬には,狩野・海北・長谷州・別所などの著名画家が健筆をふるい,絵馬堂は画廊的役割を果たした。江戸時代にはまた社会の風潮を反映して画題は多様化し,絵馬奉納習俗はすみずみまで広まった。一方,民間信仰的要素を強くもった吊懸形式の小絵馬は,庶民のあいだに脈々と受け継がれ現代にいたった。その画題は,神仏に伝えられる霊験の種類や祈願の内容によって一定の類型ができたが,きわめて豊富である。馬の図・神仏の像を描いた図・神仏を象徴するもち物などを描いた図・礼拝姿を描いた図・祈願内容を描いた図・干支の図などがあり,そこには庶民の祈願の様相が具体的に現れている。

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