●恵比須信仰 えびすしんこう
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日本の民間信仰において,生業を守護し,福利を招来すると信じられている神霊の一種。中世期以降は七福神のなかに加えられ,大黒とともに,代表的福神とされている。もともと,漁民や海人のあいだにおこった信仰と考えられるが,今日では,海運守護神・商業神,さらには農業神とその効験は拡大し,複雑な様相をみせている。全国にひろがる信仰であるが,漁業神としては種子島までで,それより以南には認められない。『琉球由来記』巻8那覇由来記に〈十一夷(えびす)殿ノ事,那覇之内東村之境〉という記事があってその由来をのべたあと,〈……其ヨリ市町ニ崇ルトナリ…〉とあって,商業神として祀られた時期のあることを思わせる。エビスの語源も明確ではないが,外者・異者の意である夷に由来するもののようで,異郷から来て幸をもたらす神という感覚は否定しがたい。【漂着神としての恵比須】事実エビス信仰にまつわる伝承には漂着神的性格をもつものが多い。江戸浅草観音の尊像を発見し祀るにいたった経緯を記した『江戸名所記』の記事は有名だが,仏像や神体でなくとも,何度海中に捨てても網にかかるので不思議に思い,祀ることになったと説かれているものが多い。海上で作業中にたまたま網にかかったお姿,神像ないし石というのではなく,一つの漁撈儀礼として海中からエビスの神体を迎える事例が南九州と五島の南端,玄海灘の下関寄りの離れ島に分布している。鹿児島県肝属(きもつき)郡内之浦では,網場ではエビス様の御神体を定めるのにアミコ(漁夫)が目かくしをして海中に潜り,つかんだ石をもってきて神体とする習わしがある。しばらくたって魚が獲れなくなると,新しい御神体を再び探し,取り換えることがあるという。甑(こしき)島の瀬々野浦では以前大敷網でマグロを捕っていたころ,漁期の口明けにあたって,両親が揃っている一家の評判のよい一漁夫が,新しい手拭で目かくしをして海中に飛び込み,海底の石を拾ってきてエビス様に祀るという。一方漁村においてはクジラやイルカをエビスと呼び,クジラやイルカが回遊魚を追いかけてきて地先近くの海にくれば,魚群も同じく岸近く寄せてくるので,漁獲物を招き寄せるという伝承も全国的である。海で漁る人たちはさらに海に漂う死人をもエビスとして受けとめる。漂流死人は一般に漁民からナガレボトケ・ウミボトケ・シブト・ナガレカンノンなどと呼ばれているが,エビスの呼称も各地にみられる。流れ仏を船に引き上げるに際し,乗組員の二人が死体にむかって片方が「エビスさん,エビスさん,大漁させてくれるか,くれないか」と問いかけると,ほかの一方が「大漁させます,大漁させます」と答えてから上げる習俗は全国的である。水死人に神意を認める心意は韓国でもみられ,引き上げる際船主や船長が「陸地に埋葬してあげるから,財運が少しでもよくなるようにしてください」と唱え,つづけて「心配しなさんな,魚はいくらでも捕れるようにしてあげるから」と自問自答しながら引き上げるという伝承もある。エビス神のこうした信仰の背景には,海底ないし海の彼方を神霊の国とし,海を渡りくるもの海より出現するものを聖なるものとする古い思想が,その根底をなしているものと考えられる。
【恵比須信仰の展開】もともと漁神であったエビスは中世期には商業神としての性格をもったらしく,文献の上では1163年(長寛1)奈良東大寺にエビス神が祀られ,1253年(建長5)には鎌倉鶴岡八幡社の境内に江美須が祀られている。さらに1302年(乾元1)には,奈良で市神として祀り,1359年(延文4)にも大和常楽寺の市に夷社を祀っている。一方エビスは農村では農神として信仰され,田植終了後苗を三把エビス神に供える事例は広くみられる。さらに山村では山の神を夷神とする信仰も中世以降みられ,その複雑な様相のなかにエビス信仰の変遷が跡づけられる。
〔参考文献〕桜田勝徳「漁村におげるエビス神の神体」『漁人』1942,六人社
宮本常一「エビス神」『海に生きる人々』1964,未来社
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