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●エピクロス派 エピクロスは

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 ヘレニズム時代を代表する哲学の3大学派。ストア派・懐疑派と並ぶ学派。エピクロス(前342〜前271年ごろ)が創始した。父はアテナイからの植民でサモス島に渡り,エピクロスはここで生まれた。14歳のときから3年間,テオス島で学び,このときにデモクリトス派の影響をうけたといわれる。18歳になって,軍役に服するためにアテナイに行き,このときアレクサンドロス大王の死とアテナイの反マケドニア武装蜂起,反乱失敗を眼のあたりにした。このときの経験が彼の後年の政治・公的生活への絶望と疎遠を結果した,という見解もある。32歳のころに初めて,彼は哲学の教師としてミュティレネやランプサコスで教え,前306年,35歳のときにアテナイに移住し,市内に庭のついた家屋を購入した。この庭はのちに「エピクロスの庭園」と称され,彼の学派はここを拠点として繁栄した。死の日に,彼は熱い湯の入った浴槽につかりながら,強いブドウ酒を飲みほして,周囲の者に自分の教説を守るように諭して息をひきとった,といわれる。著作・書簡は300編以上と伝えられているが,現在に残されているのはわずかな断片のみである。同時代の多くの哲学者と同様に,エピクロスにとっても,哲学は学問であるよりは幸福を得るための手段であった。ちょうど医術が身体の病気を治療するように,哲学は人間の魂の苦悩を取り除き,その健康を回復するために存在すべきであった。エピクロスは哲学を伝統に従って論理学・自然学・倫理学の3部門に分け,論理学は自然学に,自然学は倫理学に奉仕すべきものとした。したがって,論理学は自然学への予備的意義をもったにすぎなかった。彼の自然学は多分にデモクリトス原子論の影響をうけていたが,彼の自然研究の意義は人間の心の恐怖を探り出し,その恐怖がいわれのないものであることを明らかにすることにあった。永遠に存在するものは無数の原子と無限の空虚のみで,その他は原子の離合集散によって生成消滅する。しかしデモクリトスとは異なって,エピクロスにとっては原子は重さをもち,各原子は落下運動の途中で恣意的に垂直の落下方向から逸脱することによって衝突し,ここから万物の生成が可能になるのである。このような自然学的観点から,人間の恐怖心を解明しようとする。まず,死の恐怖について。死は単なる生理的な現象であり,有機体を構成している原子の分離にすぎない。身体が解体すれば原子も消散する。死によって人間は感覚を失い,無に帰する。死とはそれだけのことであり,それ以外の何物でもない。こうして彼は,死への恐怖から人間を解放しようとしたのである。むしろ死を恐れず,与えられた現在,生を十分に楽しむべきことを力説する。次に神への恐怖について。エピクロスにとっては,神もまた最も微細な原子によって構成された存在であり,世俗を超越した賢者と同様に,神々も至福な状態にあって,宇宙を支配したり,人間世界に干渉することなく,世界を超越して別の世界とのあいだに住んで,静かで平和な生を送っている。したがって,神々への恐怖は無意味であり,神への祈りはしばしば怠惰の表れにすぎない。このように説くエピクロスの意図は,死についての考察において示されたのと同様に,神についても正しい観念をもつことによって,無用の宗教的恐怖を取り除くことにあった。エピクロスが最終的に求めた生活は,死や神への恐怖から解放された人間の幸福であった。それは心の平穏,肉体に苦痛のないことを重要な条件としている。肉体的苦痛のないこと,魂が煩わされないこと,これが生活の理想であり,彼のいう“快”の生活なのである。エピクロス派を単なる「快楽主義」とする誤解はここに由来するが,彼が追求した理想は,恐怖から解放された心の平静によって実現される幸福で平和な生活そのものであった。のちに,ローマの詩人哲学者ルクレティウスエピクロス派に属し,学派そのものは紀元後3〜4世紀まで存続したが,その間,エピクロスの説には修正も発展もみられなかった。