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●慧能 えのう

アジア 中華人民共和国 AD638 唐

 638〜713 中国禅宗の第6祖。恵能とも記す。新州(広東省新興県)の人。俗姓盧氏。先祖は茫陽の人で父は新州に左遷され,彼の幼少時に死亡した。薪を売って母を養ったが,あるとき『金剛経』を聞いて悟り,ついでキシュウ※注1※黄梅の馮茂山の5祖弘忍(こうにん)に会い,寺男の身でありながら袈裟を授けられ,南に帰って出家した(676・儀鳳1)。韶州・広州で教化活動を行い,新州国恩寺で没した。とくに韶州曹渓宝林寺での説法を弟子の法海が編集し,授学の際の伝持本とした『六祖法宝壇経』が有名。この経は敦煌本も発見されている。彼の教風は,同じ弘忍の弟子の神秀が長安で漸悟主義であったのに対し,頓悟主義(とんごしゅぎ)を説いた点に特色があり,禅宗南頓北漸に分かれるもととなった。北宗禅が貴族的教学的になったのに比べて,南宗禅は唐末に新興の士大夫に支持されるなどその直截な明瞭性を保持し,以後の中国禅宗の本流を形成していった。慧能の弟子には,青原行思南岳懐譲・荷沢神会(じんね)・石頭希遷らがおり,おのおの一家をなした。

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