50音順    検 索

●江戸時代 えどじだい

アジア 日本 AD 

 徳川幕府の所在地名を時代の呼称としたもので,安土桃山時代と合わせ近世とも呼ばれている。また,幕府・諸藩の二重支配による政治組織と,それを支える社会構造を統一し幕藩体制(幕藩制社会)ともいわれる。したがって,普通は江戸時代と称した場合,政治史的視角から政権の推移や政治機構の変化を中心に捉えていく傾向が強い。始期は徳川氏が覇権を確立した1600年(慶長5)関ケ原の戦いとする見解もあるが,一般には徳川家康が幕府を開設した1603年(慶長8)とし,15代将軍慶喜が大政奉還した1867年(慶応3)を終期とする265年間をいう。

【江戸時代の概観】江戸時代は日本の封建制が最高度に発展したこと,支配の中心的存在をなした幕府と藩の権力集中化が著しかったことから,中世の分権的封建制に対し集権的封建制の社会といわれている。同時に後半にいたると封建的危機が顕在化し解体過程から崩壊期に入るという見方がとられている。しかし,他方では江戸時代をもって,すでに日本の封建制が解体過程に入ったとする考え方や封建制の再編成期とする捉え方もある。江戸時代における将軍を頂点とした幕府諸藩の政治体制は,兵農分離と石高制・領国制によって特質づけられている。このうち兵農分離と石高制は,豊臣政権における太閤検地刀狩りに身分法令を主とする諸政策を基礎にしたものである。そして幕府開設後の17世紀の前半,とくに寛永年間に幕府の職制の整備と鎖国の完成によって対外方針も確定した。しかし幕藩体制が確立するのは,全国的視野でみるとき,1661〜80年(寛文・延宝期)という見解が一般にとられている。この見解は慶安の幕政改革をへて,幕藩領の検地によって小農民を主体に村請制を中心とした近世村落が全国的に成立し,領主的土地所有が確定したからである。鎖国制は対外的には日本の華夷意識に支えられた国家主権の確立であり,幕藩体制を体制的に維持するための手段であった。江戸時代は幕府領(天領)・大名領(藩領)・旗本領・寺社領および皇室・公家領の分割領有により支配されていたが,所領の大半を占める各大名は個別領主権をもちながら公儀権力である将軍を中心に集権的に編成されることにより,初めて領主支配が貫徹することになった。大名領では藩体制の確立に伴い城下町の経済的位置が確定した17世紀後半以降江戸・大坂・京都の3都が中央市場の役割を果たすことによって商品流通が全国的に展開した。また社会構成は封建的主従制を中核とした身分制にもとづいたが,大名や家臣の家,商人仲間,職人の組などにより構成され,人々は集団に属し規制を受けながら生活していた。

【時代区分】江戸時代の時代区分は前・後期や幕藩体制の成立・解体期に分ける2分法,また前・中・後期や確立・展開・解体期の3分法が一般にとられているが,ここでは初・前・中・後・幕末期の5分法によることにする。まず初期(慶長・元和)は幕藩体制の土台ができた時期とみる。江戸幕府の開設後,徳川家康は2年で将軍職を2代秀忠に譲り,江戸・駿府の二元政治により政権世襲の布石とし,1615年(元和1)大坂の陣で豊臣氏を滅亡させると,大名統制を強化しながら元和偃武により全国支配を推し進めていった。前期(寛永〜寛文・延宝)は,3代家光から4代家綱にいたる幕藩体制の確立期である。幕府は寛永10年代に集権的政治機構の整備を行い,外様大名の独立性を弱体化させることにより大名領知権が将軍の全国支配権のなかに包摂する体制を整える。また武断的政治から文治政治の方向に改め,小農経営を幕藩権力の基盤とする近世村落体制を確立し,領国の断行により幕府の長期政権への道を強化した。中期(元禄〜享保)は5代将軍綱吉から8代吉宗にいたる幕藩体制の展開の時期である。天和の治に始まる綱吉の治政は元禄期を迎え文治政治の性格を濃厚にし,新井白石の正徳の治にいたり最高潮に達した。ここでは従来の老臣門閥による老中合議政治から将軍専制政治への移行がみられ,将軍側近の側用人が実権を握りながら専制権の強化をはかった。6代家宣・7代家継の治政は政策面では異なるが基本的にはこれを継承した。つぎの8代吉宗の享保改革は財政再建を中心とした30年に及ぶ,はじめての総合的改革であったが,政治路戦は文治政治の進展に伴う将軍権威の実質的成長であり,幕藩政治機構においても番方から役方の進出が顕著となり,封建官僚制の拡充・制度の整備・法典の編さん・刑罰の緩和など元禄期に指向した政治体制の完結がはかられた。17世紀後半に確立した幕藩体制は繁栄をつづけたが,その反面では享保期になると本百姓経営の分解・農民の反抗激化・領主財政の窮乏など封建的危機が芽生えてきた。そのため改革の前半では農政中心に貢租体系の強化であったが,後半は台頭する商品経済の発展のなかで商業資本を利用し殖産興業を重視せざるをえなかった。後期(宝暦・天保)は幕藩体制の動揺・解体の時期である。近世封建社会の経済的推移に基づく社会現象は,宝暦〜天明期になると本格的危機の様相をおびてくる。階級闘争は質的変化をとげながら激化し,年貢増徴の限界,都市物価問題,商品生産や流通の展開に伴う地域的分業の深化や豪農の成立がみられた。田沼時代の政策は新田開発や国役普請による大規模工事の励行,株仲間の結成,蝦夷地開発計画,開国貿易計画など特権商人の力により経済発達の成果を吸収しながら幕府の財政規模を拡大していこうとしたもので,多分に近代日本の黎明を告げる側面をもっていた。しかし,天明大飢饉などの災害が,連続かつ集中的に発生し人災または政災的要素が加わると,この時期から解体過程に突入することになった。幕府・諸藩の改革は封建危機の進行に対応するものであったが,老中松平定信による寛政改革は関東・東北地方の農村の荒廃から復興を急務としたが,文化・文政期の関東中心の幕政改革も封建危機への新たな対応を示すものであった。幕府・諸藩の改革は年貢増徴方針のほか,農民的商品生産の発展に対処して,広く商人に依存しながら江戸の需要を確保し物価の安定をはかろうとした。老中水野忠邦が享保・寛政の改革期への復帰を目ざして断行した天保改革の政策の一つである株仲間の解散も,こうした考えの基底をなしていた。幕末期(安政〜慶応)は幕藩体制の崩壊期である。1853年(嘉永6)ペリー来航を契機とする鎖国から開国への転換は,長州・薩摩など西南雄藩を中心とする尊王攘夷運動を激化させ,さらに全国的な都市・農村の諸矛盾が顕在化するなかで1867年(慶応3)10月,15代慶喜による大政奉還が行われた。江戸時代はこうした政治・社会経済的推移とともに注目すべきは文化・学間の発達である。まず寛永期には幕藩体制の成立と相まって武芸や伝統文化が城下町を中心に武家社会に普及した(寛永文化),元禄期には上方中心に町人階級が台頭し,都文化(元禄文化)創造への基盤が形成された宝暦〜天明期には江戸町人を中心に創造的活力がみられ(宝天文化),さらに文化・文政期には町人・農民による庶民文化が成長し,地方文化の盛況をもたらした(化政文化)。また封建社会としての封建教学の発達の反面,宝暦以降にみられる国学・蘭学による新しい学問・思想・科学の発達が,封建権力に立ち向う民衆の動きのなかで,江戸時代の動揺をもたらす重要な要素になったことが特筆される。

【江戸時代の特色】江戸時代は封建身分制を支柱として展開するとともに,ヨーロッパの封建国家の王権に比べると将軍(幕府)の権力はきわめて集権的で強大であった。また,領主対農民を基本的関係に置き,村を財政基盤としながら,都市・商工業の発達,全国的商品流通により町人文化の発展が顕著であり,それだけに封建官僚制に基づく幕府・諸藩の政治機構によって周到に中央・地方行政が行われた時代である。なお,島原天草の乱以降230年にわたり対外・対内戦がなく平和なうちに展開しており,現代の目本社会の直接の原型は江戸時代に形成されたという見方もある。

01

02

03

04

05