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●江藤新平 えとうしんぺい

アジア 日本 AD1834 江戸時代

 1834〜74(天保5〜明治7)旧佐賀藩士。政治家。諱は胤雄,号は南白。藩校弘道館に学び,1850年(嘉永3)国学者枝吉神陽の義祭同盟に参加,尊攘派として1853年「鄂羅斯を諭す檄」を書き,1856年(安政3)には「図海策」を発表して開国論に転じた。1862年(文久2)脱藩出京し尊攘運動につこうとしたが帰藩を命じられた。1867年(慶応3)藩主とともに出京,翌明治1年から江戸市政を担当,東京遷都を建議,1869年(明治2)佐賀藩制を改革,1871年(明治4)文部大輔,ついで左院副議長となり民法典編さんに努力,1873年(明治5)司法卿となり司法権独立につくした。また早くから国政改革・官制改革について建議し,その多くが実現した。1874年(明治6)4月,参議となり,朝鮮国遣使問題で西郷隆盛らと下野,1875年(明治7)1月民撰議院設立建白書に署名する一方,佐賀の役にまきこまれて敗れ,鹿児島・高知に逃れたが捕えられて処刑・梟首された。墓は佐賀市西田代町本行寺にある。墓碑銘は副島種臣筆。

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