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●エディプス=コンプレックス

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 フロイトの精神分析学の用語で,両親との関係において,男の子が異性である母親に対し強い親愛の情をもち,同性である父親に対し,無意識に敵愾心や嫉妬の情に傾く傾向,および,そうした心のもつれを示す語である。

精神分析入門の概念】これはフロイトが『精神分析入門』の中で,テーベのライオス王が,妻イオカステのあいだに生まれた子は,父を殺す運命をもっているという託宣が下った。そこで二人は恐れ,子供が生まれるとすぐ,その子をしばり,足に孔をあけ,キタイロン山に捨てた。やがてこの子はコリント王ポリュポスの羊飼に発見され,足がはれていたことからエディプスと名付けられた。そしてコリント王の子として育てられた話にちなんでいる。そうした考えの共通性の上にフロイトはこの概念をつくりあげている。このようにみてくると,フロイトはギリシア神話を神話学の対象と考えるより人間の精神分析の原点と考え,その背景にあるものまで分析している。これは結局,人間は生まれながらにして性愛衝動をもち,幼児期にはこれが異性親の愛を得ようとする近親愛的傾向に示されている。同時に同性の親に対しては嫉妬と殺害的な野望をいだくが,それらが抑圧されていて心のコンプレックスとして,しこりのように残っている。そのためこれがノイローゼ(神経症)の原因として働くことが多い。このような心のしこりについて前述のようなことからエディプス=コンプレックスと名づけられている。

【父への憎悪】フロイト流にいえばエディプス=コンプレックスによる父への憎悪は,父の権力による母の虐待とはまったく関係ない。弱くても,恋敵は恋敵である。フロイトでは社会的権力さえが,父と同視されるゆえに,恋敵として憎まれる。これに対して,肉体的欠点も対社会的ヒガミとして作用し,一種の劣等感の原因となる。フロイトは性的衝動の要求と一致すると説く。性的快楽の追求するもの,それはフロイトによれば性的衝動の要求と一致する。快楽の追求をリビドーと呼んでいる。それはどんな禁止をしても,むしろ好んで禁ぜられた対象を選ぶ様さえみえる。フロイトは近親相姦的な欲望は男子は母や姉と,また娘は父や兄たちのあいだに存在する欲望であると説く。男子の母への愛欲をフロイトはソフォクレスの悲劇の主人公に名をかりてこう名付けた。エディプスの母への愛は父を殺す願いとつながり,最愛と自分で信じている肉親への復仇,彼らの死への熱望などの幼時願望と呼ばれるものをもっている。とくに母への愛欲が中心である。それも思春期になるとリビドーは再び幼時の近親相姦的な対象にからみつき,はげしい感情の流れがエディプス=コンプレックスの方に動くことになる。そこに両親からリビドーを解放して他人である異性へ方向をかえ,精神的に昇華させる必要が生ずる。フロイトはエディプス=コンプレックスを人間の罪意識とむすびつけている。

超自我と理想我】自我をフロイトは,この意識とともに人格の表面に現れているという。ところがこの上自我の内部に「超自我」というものがもち込まれている。意識的無意識的に残りの自我に,自分の理想をおしつける。この理想は,フロイトによって「理想我」と名づけられている。そして両親や教師,とくに父との同視によって成立させ,自我の行動を監視するにいたっている。「超自我」は,エディプス=コンプレックスに根ざし,その形成はエディプス期にさかのぼることができる。幼児は,両親をたよりきっている生活ゆえに,父と母とを同視する。しかしフロイトはわざわざ「理想我」の思想を改訂したのは意識的な禁止と無意識的な抑圧との区別がめだっている。したがって劣等感コンプレックスのようなもの,権勢や力へのコンプレックスともちがっている。しかしフロイトの精神分析学は,抑圧されて逃げ場を失ったリビドーの変化というところに力点をおいて考えてはじめてエディプス=コンプレックスを明確にできる。