●越中 えっちゅう
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富山県全域にあたる旧国名。北陸道に属し,西は能登・加賀,南は飛騨,東は信濃・越後に接し,北は日本海に面する。先土器時代は丸山遺跡など,縄文時代には大境洞窟・朝日貝塚などの遺跡がある。弥生時代は短く,古墳時代に入るが,中期以後の桜谷(前方後円)・国分山(円墳郡)などの古墳がある。越国の一部となり,7世紀末に3分されて越中となる。国府・国分寺は伏木。奈良時代の国守に大伴家持がいる。延喜式内社は34座。9世紀以後東大寺などの広大な荘園が設置。平安時代以来立山信仰が盛ん。倶利伽羅峠は木曽義仲の古戦場。鎌倉時代の守護は比企・名越氏など。中世以後一向宗の勢力旺盛。戦国期越後から上杉氏が進出,末期佐々木氏が富山城主となる。中世の文化財に本法寺の曼荼羅・雄山神社本殿などがある。近世初金沢前田氏藩富山藩10万石成立。古来米作・沿岸漁業盛ん。特産物は売薬・銅器・和紙・木綿など。近世浪化を中心に俳諧盛ん,中央俳人も来往。戊辰戦争では官軍に協力。1883年(明治16)越中全域が富山県となった。〔参考文献〕坂井誠一『富山県の歴史』1972,山川出版社
『国史大辞典』1980,吉川弘文館
『郷土の歴史 中部編』1959,宝文館