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●粤漢鉄道 えっかんてつどう

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国の北京と広州を結ぶ南北縦貫鉄道(京広鉄道)の南半部をなし,広州と武昌を結ぶ。全長約1,100km。京漢鉄道より少し遅れて,1898年張之洞盛宣懐の提議によって計画された。当初資金調達が困難であったが,アメリカの華美合興公司(American China Development CompanY)との借款条約でメドがつき,1901年12月広州の石圍塘と三水を結ぶ広三鉄道が粤漢鉄道支線として着工された。この支線は1903年10月に完成したが,本線はロシア・アメリカの利権獲得競争の対象となったため,外国留学中国人学生に始まり,地元(湖南省)民衆の請願に発展した鉄道利権回収運動の目標となり,内外中国商人の対米ボイコットなどもおこったため,清朝政府はその敷設権を回収した。改めて湖北・湖南・広東の地元3省の責任で敷設することとし,1906年9月,広東省の広州−韶州間が着工された。まもなく資金ぐりが悪くなり,政府の監督の下で外国資本によって建設運営することとなり,1911年5月イギリス・フランス・ドイツ・アメリカの4国財団と清朝政府のあいだでの湖広鉄道借款600万ポンドの契約が成立した。この直後清朝が崩壊したが,条約は民国政府にひき継がれ,1913年から借款が実施され工事が再開された。しかし,第一次世界大戦・国内の軍閥抗争の激化のため工事は中断をいくども余儀なくされた。1930年代に入り国民政府の積極的な鉄道政策のもとで短期借款でやりくりし,1936年(民国25)9月,着工以来30年にしてやっと全線開通した。人民共和国成立後の1957年,武昌の長江大橋の完成によって京漢鉄道と直接結ばれた。