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●蝦夷漁業 えぞぎょぎょう

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 近世における蝦夷地の主産業は漁業で,これをさす。この漁はおもに蝦夷(アイヌ)によって担われ,それを生業とする。本来アイヌは自給自足のイオール内社会の時期には,各季節を通して必要な分だけ魚をとる段階の漁でしかなかった。これが本州内地の和人と本格的な交易が進みだすと,より大量の漁獲をはかる漁に変化していく。この漁業の主なものは鮭漁・昆布漁・鰊漁である。このほか海鼠(なまこ)・鮑・鱈もとっている。これらの漁は時代により,国内需要の変化と長崎貿易に蝦夷産品の比重が重くなることなどによって内容が変化していく。近世初期の蝦夷地の各漁場は次の地域である。すなわち鮭(鱒も含む)場は主に石狩川の本支流であり,昆布は道南太平洋側に集中し,鰊は同じく道南日本海側沿岸が主な漁場となっている。

【時代による蝦夷漁業の変化】享保期前とそれ以降天明期までに二分してその変化をみる。まず長禄期から享保期以前までの蝦夷の和人地は道南の箱館・松前・江差の湊地域に限定され,アイヌと交易をする商場(交易場)が成立する。この交易拠点がこの三湊である。ここでは鮭・昆布などの水産物と内地の鉄製品との交易が進展する。一部の和人地周辺にはコシャマイン戦争の背景に見られるアイヌの大イオール社会が形成され大酋長の下に統一されたアイヌ社会があった。松前藩は兵商分離策で商場知行制を進めるようになる。つぎに享保・天文期にはいると(天明期まで)松前藩は和人地内の諸商品生産に対し役金を徴取する場所請負制(主に請負人は商人)をすすめ,完全に兵農分離を進める中で,南部藩より流入した漁民をテコにアイヌを漁場労働力に転化させるようになる。この時期の漁主体は道南・日本海側沿岸の鰊漁である。内地農業用金肥として鰊〆粕生産が主役となる。

 これは請負商人が運上金を松前藩に納入しこの生産を進める。この期の初期には場所内での交易が規則的に頻繁化し,蝦夷水産品が本州各地で需要増となり,蝦夷漁業も盛んとなる。魚種も増え加工法も発達する。各請負人が利益増大をはかりアイヌに漁具を貸与し,内地漁法を教えるなどして蝦夷漁業は飛躍的に発達する。しかしこの期の後半にいたると流入した和人漁業の発達はよりいっそう顕著となり,蝦夷地の漁業の中でアイヌの占める割合は減少していく。請負人が自ら直接漁業経営に乗り出すと,従来生産者としてのアイヌは漁業における労働力に転落し,アイヌによる独自の漁業は衰退の一途をたどる。

【魚種別の漁法と加工の変遷】鮭漁法は4種に大別できる。[1]川に溯上する鮭を棍棒で頭をはたき獲る方法である。[2]川に草木や石でやなをつくりとる方法で,川の上流に杭を打ち並べ間を木や石でとめて鮭の溯上を断ち捕獲する方法である。[3]ヤスでとる方法で広汎に行われる。ヤスはマレップと呼ばれるもので,長さ1丈5尺ほどの棒先に鈎がありこれでつくと鈎が反転し魚体にくい込む仕掛けのものである。[4]和人漁法の影響でより漁獲量の増加をはかるためアッシの皮製の川網が上下段に使用される。鮭の加工は腸を取り乾燥し炉上で燻して干鮭にする。この干鮭がアイヌの冬季間の貴重な食糧であり,交易品となる。後期になると塩引の製造が盛んとなる。(川の下流・海岸地に多い)鱒は鮭と同じく多獲されるがよい交易品ではない。漁法と加工は鮭とほぼ同様である。ただ鱒漁業が著しく発達した寛政期以降の国後・択捉場所では〆粕や油の製造が盛んとなる。鰊漁法は交易の発達に伴い,魚肥としての需要が高まった結果,蝦夷の鰊漁業が盛んとなる。タモ網ですくう方法が一般的であるが,舟で海上からすくう方法も見られる。昆布は古くよりアイヌの献上品で,アイヌの食糧ともなり,主産はマコンブ地帯の箱館より内浦湾一帯で岩場の手どりと舟で手どりするもので,天日乾燥の方法である。のち和人の法をまね,採取具の使用をみる。採取地域もしだいに東蝦夷地へ拡大するが,主導権は漸次,和人の手に移る。

【漁具と漁舟の変遷】アイヌの漁具は棍捧・サク※注1※・トウアミ※注2※などが主な道具であり,とくにサク※注1※類が最も広範囲に使用されている。これは川鮭捕獲が伝統的に継承されてきた結果である。しかし寛政年間には鮭の多獲をもくろんで川引網やはえ縄も和人の漁具で使用するようになる。舟は丸木舟(チップ)を使用しているが,後期になると丸木舟よりやや大型の持符舟(モチップ)を使用するようにもなり,帆やかい(アスタップ)を併用するように変化する。

【漁業権】蝦夷漁業における漁業権は生業の中で漁業の占める割合がきわめて大きい関係から,各部落ごとにその範囲が決められている。この部落ごとの漁場は必ずしも自己の周辺や隣接海域には限定されない。アッケシアイヌが択捉島の漁猟権を持つという例でもわかる。この漁業権はかなり精密なもので,河川や湖沼の場合,その境界は厳格に規定されている。この権利の獲得と保存は先占と継続的使用による収益で慣行成立を基とするいわば慣習法である。このほか入会共同漁業権の区域もある。これは先の慣行が成立した結果,親部落とそこから分離した小部落との間に成立する場合もある。ほかに最初から複数以上の部落入会が慣行化されている場合もある。この権利の主体はそれを支配する部落の酋長(乙名)を中心の個人に属するケースがある。反面,部落全体にその権利が帰属しているところもある。つまりこの両ケースの混合的・過渡的な形態がそのあり方の実態といえる。

〔参考文献〕地方史研究協議会編『北海道地方篇』日本産業大系2 1960,東京大学出版会

山口和雄編『北海道漁業史』1958,北海道水産部

海保嶺夫『日本北方史の論理』1974,雄山閣

海保嶺夫『幕藩制国家と北海道』1978,三一書房

小林真人,田端宏編『松前町史第3巻』1979,松前町

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