●也先 エセン
アジア モンゴル国 AD
?〜1454 15世紀半ばのオイラト(瓦刺)の部族長。父トゴン(脱歡)は1433年(宣徳8)に,チンギス=ハーンの後裔と推定されるトクトア=ブハをハーンに擁立し,自らは太師と称し,連合して1438年(正統3)までにモンゴル東部を征服した。またトゴンは,モンゴル西部のオイラト内部も同じころまでに統一した。1439年(正統4)ごろトゴンは死に,その後を継いだのがエセンである。エセンは,東方では満洲の女直を服従させ,朝鮮に通好を促し,西方では東チャガタイ=ハーン国を制圧し,西トルキスタンまで出兵するなどして,モンゴル帝国の再現を思わせる版図を築いた。明朝が朝貢貿易を制限したため,1449年(正統14)エセンは明の北辺に進攻し,明軍を撃滅し,正統帝を土木堡において捕虜とした。明に大勝したエセンは,トクトア=ブハ=ハーンと立太子問題をめぐって衝突し,1451年(景泰2)ハーンを攻め滅ぼし,1453年(景泰4)自ら大元聖天大ハーンの位に就いた。しかしその支配は永続せず,翌1454年アラク(阿刺)知院の反乱のためエセンは殺害され,エセンの大帝国も崩壊した(土木の変)。