●エジプト文字 エジプトもじ
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古代エジプト文字は人類最古の文字の一つで,通称象形文字といわれているように,絵画的であるのが特色である。とくにヒエログリフ(楷書体)は1字1字が絵そのものであり,自然界・人間界の万象をかたどっている。エジプトの画法には対象を正面図(または平面図)・側面図,両者の結合のいずれかによって表現するという法則があり,文字の筆法もこの画法に従っている。たとえば人体の表現は,頭部・手足の側面図と目・肩・胸の正面図とが組み合わされた形をしており,家は平面図,鳥獣はおもに側面図で表された。【象形文字の3書体】象形文字にはヒエログリフ・ヒエラティック(行書)とデモティック(草書)の3書体があったが,ヒエログリフが最初に考案され,各時代を通じて基本的な存在であった。その発明は前3,200年ごろで,文字使用の技術と意義とはメソポタミア地方から学んだと考えられるが,文字そのものはエジプトの風物を表している。常時用いられた文字の数は約700であるが,時代がさがるにつれて新しい文字が考案され,最終的には総数数千に及んだ。ごく初期には各文字がモデルそのものを意味する表意文字であったが,音の転用によって同一文字が2事象以上のものを表す表音文字的機能を併せもつようになった。文字には単音のもの,2音のもの,3音のものがあるが,子音だけが示されて母音を欠くので,古代エジプト文字の正確な復元は不可能である。子音の種類は24個で,単音文字のなかで最も頻繁に使われたものが,しだいに24個のアルファベットとして定着した。しかし,単音の前置詞などを除いては,各語は通常このアルファベットと2・3音文字および表意文字を混用することによって表され,同音異義語を区別するため決定詞(限定詞)と呼ばれる無音の文字が語尾に置かれる場合が多い。日本語における漢字と振り仮名や送り仮名との併用にやや似た点がみられる。最古の文字記録は石や木に刻まれたヒエログリフであるが,パピルス紙が作成されるようになると,この素材には筆と墨でヒエラティックが記されることが多くなった。ヒエログリフが縦書・右→左横書・左→右横書の3様に記されたのに対し,ヒエラティックではおもに右→左横書が用いられた。ヒエログリフとヒエラティックで記されたエジプト語は古代エジプト王国(いわゆる王朝時代のエジプト)の言語であり,現在ほとんどの文献が解読可能である。これに対して,マケドニア人やギリシア人が支配者であったプトレマイオス王朝時代に使われるようになったデモティック文字は,筆法そのものが非常に簡略化されているうえ,これによって記された言語(デモティック語)は王朝時代の言語とかなり構成が変化してきているため,その解読法に関しては今日なお異説が多い。この文字もヒエラティック同様,おもにパピルス紙に右→左横書に記された。
【コプト文字】ローマ時代に入ると象形文字はほとんど死文字となりエジプト人自身によっても解読が不可能となっていった。それゆえ,2世紀から3世紀にかけて,キリスト教がエジプトに普及しはじめると,伝道者たちは布教の必要から,ギリシア語のアルファベットを基礎にして新しいエジプト文字(コプト文字)を考案した。これは子音・母音を含む完全なアルファベットで,その表すコプト語は4種ほどの方言(サヒーディック語・ボハイリック語・アキミミック語など)に分かれているのが特色である。コプト文字文献の大部分はキリスト教関係のものである。この文字と言語との使用は,アラビア人によるエジプト征服後,急速に衰えたが,その後もまったく消滅したわけではなかった。コプトとはエジプトという国名のなまった名称であり,コプト語が古代エジプト語の後裔であることは明らかである。1922年のフランス人J.F.シャンポリオンによるヒエログリフ解読の成功も,彼のコプト語の知識に大いに助けられている。
〔参考文献〕加藤一朗『象形文字入門』1962,中公新書