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●エジプト人 エジプトじん

アフリカ エジプト・アラブ共和国 AD 

 民族の分類は,使用した言語によって区別されることが多く,古代エジプト人も通常ハム語を話したハム人とされている。しかし,文献にもとづくかぎり,古代エジプト語にはセム語の影響がかなり強く,また現在ハム語の研究はセム語のそれよりもはるかに遅れているというのが実情である。

【形成】日本人の起源同様,エジプト人の起源についても未詳な部分が多い。しかし,アフリカ北東部の風土の乾燥化が進んだとき,ナイル川は巨大なオアシスとして諸地方から人々をひきつけ,当初雑然としていたナイル川流域の住民が,約2,000年にわたる先史時代(新石器・金石器併用の両時代)のあいだに,孤立的・封鎖的であったこの世界のなかで,同一の言語を話す均一的民族を構成するようになったことは十分推定することができる。このとき,言語の性格からみて,西・南方から来たハム語を話す人々と東方から来たセム語を話す人々が中心的役割を果たしたものであろう。また彼らは,当初ナイル川の定期的氾濫に苦しめられたであろうが,しだいにその性格を認識し治水に専念し,耕地を拡大して,砂漠の遊牧民とは対照的な定着農耕民族となった。

【文化の特色と民族性】エジプト文化がピラミッドによって象徴されているため,エジプト人の来世信仰・厚葬の習慣が注目されやすいが,彼らは現世を無常の世として軽視していたわけではない。むしろ現世主義的・実用主義的で,楽天的でさえあった。またオアシスの住民のつねとして平和主義者であった。主権が絶大であったため,国民の主体をなす農民を奴隷視する見解も行われているが,実体は中世ヨーロッパの農奴に近いものであった。明らかに周辺の遊牧民よりも生活は安定しており,彼らはエジプト人であることに誇りをもち,アフリカ的伝統を基盤とする王の神格化にもあまり抵抗を感じなかった。絶対的な王権と強い来世信仰が結合したピラミッドの建設は,彼らに苦役を強いたことは事実であるが,最大のピラミッドであるギゼー(ギザ)にそびえる第4王朝のクフ王(ケオプス王)のピラミッドの恒久性と精巧な石積みから判断すれば,この建設者たちが奴隷根性の持主であったとは考えられない。そこには誠実さ・勤勉さ,また器用さが看取される。宗教は多神教で,万象を神格化し,神々の数は無数といってよく,その性格も,国家神・地方神(または市神)および家庭信仰の対象など多岐であるが,概して神々は厳格な戒律を強いるものではなく,守護神として崇拝された。2,3の神学と呼ばれている文献はあるが,これらの神々を体系的に統一するということはなかった。きわめて絵画的な象形文字を発明し,これを3,000年のあいだ使いつづけたエジプト人は,あくまでも物事を具象的にとらえ,また表現する伝統を保持し,他方きわめて保守的な思想の持主であったので,体系化とか抽象化という点では弱かったらしく,また新しい思想が生まれても古い思想を捨てることなく,新旧思想は混在するのが通常であった。高度な哲学的思想も発達していたが,その表現は神々の名を用いた神話的なもので,哲学そのものにはならなかった。天文学・暦学(とくに太陽暦の最古の研究)・数学(とくに幾何学)なども発達したが,それらはおもに農業や建築に奉仕する実用主義の領域にとどまった。美術も同様で,周知のごとく非常に優れた絵画・彫刻を残しているが,これらもおもに宗教に奉仕するためのものであった。真理のための真理の追求,美のための美の追求というところまで行かなかったのは,エジプト人の民族性にもよるが,また人類がその時点に到達していなかったからともいえよう。

【変容】プトレマイオス朝時代以来,マケドニア人・ギリシア人・ローマ人などが流入し,7世紀のアラビア人による征服はとくに混血を促進し,宗教・言語も変えてしまった。コプト人と呼ばれるキリスト教徒の子孫が最もよく古代エジプト人のおもかげを伝えているといわれる。