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●エジプト学 エジプトがく

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 古代エジプトの遺跡・遺物・文献から,その歴史・文化・社会・宗教・文字・言語・美術などを研究する古代学の一専門分野。エジプト学の要となるのは,古代の遺跡や遺物を発掘・調査する考古学と古代文字の解読などを行う文献学である。

【エジプト学の成立】エジプト学は,1822年にフランスのジャン=フランソワ=シャンポリオンが,ロゼッタ石をもとに,古代エジプト文字であるヒエログリフ(聖刻文字)を解読したことに始まる。1798年にナポレオンがエジプトに遠征したときに発見されたロゼッタ石には,それぞれ異なった文字で書かれた碑文が,三つに区分されて刻まれていた。上段がヒエログリフ,中段がデモティック(民衆文字),下段がギリシア文字である。これら3種の碑文が同一の内容であろうとは,当初から考えられていたが,ギリシア文字以外の解読は困難をきわめた。やがてフランスのシルヴェストル=ドゥ=サシとスウェーデンのヨハン=ダヴィト=オーケルブラッドが,デモティックの部分的解読に成功したが,ヒエログリフシャンポリオンによって解読されるのは,それから20年も後のことであった。シャンポリオンより前にも,イギリスのトーマス=ヤングなどによって解読が試みられたが,成功しなかった。

シャンポリオン以後のエジプト学】シャンポリオン以後も,ヨーロッパを中心に有能なエジプト学者が輩出し,初期のエジプト学研究に貢献した。ドイツのカルル=リヒャルト=レプシウスは,1842〜45年までエジプトで古代遺跡の調査を行い,その成果を1849〜59年にかけて,『エジプトおよびエチオピアの古代記念物』として刊行した。この12巻にのぼる大著は,現在もエジプト学研究の基礎資料として,国際的な評価を得ている。また彼は,当時フランス以外であまり認められなかったシャンポリオンによるヒエログリフ解読の結果を,再確認したことでも知られる。1851年にサッカラでセラペイオンの遺跡を発見したフランスのオーギュスト=フェルディナンド=マリエットは,のちにエジプト政府の古代文化財監督官として大規模な発掘を次々に手がけ,1863年にはブーラークに博物館(現在のエジプト博物館の前身)の設立を実現させた。彼は,エジプト国内で発掘された遺物の海外流出の防止にも功があった。マリエットの後を受けたイギリスのウィリアム=マチュー=フリンダーズ=ピートリは,1880年にギゼーでピラミッドの調査を開始し,1883年にはその成果をまとめた『ギゼーのピラミッドおよび神殿』を刊行した。彼は,ギゼーのピラミッドを世界で初めてきわめて正確に測量したことで知られ,考古学の分野における科学的発掘調査の父と呼ばれた。のちに彼は,イギリス最初のエジプト学講座の教授に就任している。アメリカ人として,エジプトで最初に発掘調査団を率いたジョージ=アンドルー=ライスナーは,ピートリのやり方をさらに厳格なものにし,各地で発掘に従事したが,彼の手がげた発掘のなかで,最も重要とされるのは,1925年にギゼーのピラミッドにおいて行われたものである。そのほかに彼は,エジプト公共事業省によって1907年に組織された,第1次ヌビア考古学調査団の指揮にもあたっている。1922年にイギリスのハワード=カーターによって発掘されたツタンカーメン王墓は,エジプト学史上最大の発見といわれている。その成果は,1923〜33年にかけて,3巻本の『ツタンカーメン王墓』として刊行された。もっともこれは予備報告となっており,彼自身はさらに本報告を書くつもりでいたようであるが,それを果たさぬうちに死去した。現在,これら先駆的なエジプト学者たちの後を受け,欧米・日本など各国のエジプト学者たちが,現地で発掘・研究に従事している。