●衛士府 えじふ
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日本古代の律令制下において宮城の警備にあたる衛士(えじ)の所属官署。左右衛士府に分かれていた。養老令の規定によると督(かみ)一人,佐(さけ)一人をはじめ両府とも70人あまりの官人および衛士が所属した。衛士は地方の軍国から上番し,ある年限のあいだ勤務に服した。その定員は各600名程度であったらしい。衛門府(えもんふ)・左右兵衛府(さうひょうえふ)とともに五衛府を構成し,朝廷の中央兵力の基幹であった。ところが地方出身の衛士の逃亡が相次ぎ,律令政府はその対応に苦慮し,勤務年限の短縮などをはかったがそれほど成功せず徐々に弱体化した。758年(天平宝字2)の官号改革の際,左右衛士府は左右勇士衛と変わったが6年後に旧に復した。808年(大同3)には衛門府を廃し,その職掌を衛士府に合併して左右靫負府と称さしめた。その後811年(弘仁2)には左右衛士府を左右衛門府と改称し,ここに衛士府の名称は消滅した。