●駅伝制 えきでんせい
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近代的な交通通信運輸機関が発達するまで,世界の諸国でみられた交通制度の一形態である。定められた交通路上の多くの地点にあらかじめ設備を配置し,それらの地点で交通機関をつぎ替えていく方法により目的を達する。国家が広い地域を支配するさいに採用され,統一的な機能を維持するうえで重要な役割を果たした。【日本】大化改新後,中央集権体制が確立するに伴い,中国の唐制にならって駅伝制が始められ,律令国家において大いに発達した。都と全国の国府を大路・中路・小路の幹線道路が結び,これらの道路上には4〜5里(約16〜20km)の間隔で駅が設けられ,駅馬が備えられた。官使は駅で馬を乗りついで食事・宿泊の供給を受けた。また幹線道路沿いの郡役所所在地に伝馬が備えられ,急を要しない官使の旅行にあてられた。駅馬と伝馬,いわゆる駅伝が律令期の交通制度の中心であった。鎌倉時代には律令期の駅制はくずれ,交通上の要地に私営の宿(しゅく)が発達した。幕府はこの宿を利用した駅制を始めた。戦国時代には有力諸侯が分国内の支配権を強化するため駅制を実施した。江戸時代には幕府により駅制が整備された。東海道を初めとする五街道が幹線道路とされ,各街道には宿駅が設けられた。宿駅には定数の人夫と馬が備えられ,問屋場もあって宿役人が事務をとった。伝馬を利用できたのは幕府と諸藩の使者・公家・武家であった。駅制の発達が中央集権化に寄与した反面,沿道農民は過重な負担により疲弊し,国力衰退の一因となったことも見落とせない。日本だけでなく,後述する諸国においても同様である。
【世界】アジアではとくに中国で大きな発達をみせ,周辺諸国に影響を与えている。中国の駅伝制の起源は古く,春秋戦国時代には設けられていたらしい。秦・漢代に都を中心として全国に整備されていき,唐代にいたって大成をみた。幹線道路には30里(約20km)ごとに駅が置かれ,駅家が配属された。駅家のうち有力者は駅長に,他は駅夫とされた。駅伝の駅は騎馬で,伝は馬車で行くことを意味し,駅には駅馬のほかに伝馬・車も備えられたが,伝馬の利用はしだいに減少していった。駅では官文書の伝送や官使の旅行に対して人夫・馬・宿所・食事を提供した。利用者には許可証が発行され,官用の場合に限られた。安史の乱後,唐の駅伝制は崩壊した。宋代には幹線道路に馬逓舗が置かれ,逓馬が備えられた。馬逓舗は官文書の逓送・官吏の旅行にも利用され,これまでの駅を合わせたものであった。また,蒙古人は支配地にジャムチと呼ぶ駅伝制をしいた。漢字では站赤をあてる。ジャム・站はともに駅を意味する。北アジアを中心にひろく各地に站が置かれ,近くの站戸が車馬・食糧を供給した。元朝治下の中国でも站戸が設けられた。利用者は定められた牌符を携行しなければならなかった。明代には郵駅,清代には駅站の名称が用いられた。官僚による専制政治が強化されるなかで,並行して駅伝制も発達をとげた。オリエント地方に大帝国を建てたアケメネス朝ペルシアも駅伝制を発達させたことで知られる。建国者キュロス2世の時代にはやくも整備された。主要道路には1日の行路ごとに合わせて駅が置かれ,各駅に使者などの人員・馬が備えられた。国王と地方長官とのあいだの命令や報告が,使者をつぎ替えながら短日時のうちに伝えられた。アケメネス朝滅亡後,ヘレニズム国家でも部分的に駅伝制が設けられたらしい。ヨーロッパの駅伝制は,古代ギリシアでは発達がみられず,ローマ帝国に始まる。ローマ帝国ではアウグストゥスがペルシアの制度を採用して実施し,以後帝国内にひろく整備された。急使のための早飛脚,大量の物資を輸送するための車便があり,馬のほかに牛・ラバが使われた。利用できるのはペルシアと同じく公用に限られた。中世ヨーロッパにおいて駅伝制の大きな発達はみられない。
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