●江川太郎左衛門 えがわたろうざえもん
アジア 日本 AD1801 江戸時代
1801〜55(享和1〜安政2)江戸後期の韮山代官。号は坦庵,太郎左衛門を世襲、諱は英龍。1835年(天保6)代官を襲職,ときに,内に領主財政の窮乏,百姓一揆の激発,外に異国船の来航と内憂外患の状況下にあり,改革派幕吏として水野忠邦の天保の改革に参画した。代官役所の綱紀粛正,百姓一揆の鎮圧を断行する一方,一貫して西洋軍制による兵制の改革を献言した。1838年渡辺崋山に近いこともあって目付鳥居耀蔵と対立,蛮社の獄を惹起する一因ともなった。1842年高島流砲術が公認されるや,門人1号となり,韮山に塾を開き,広く人材を養成した。忠邦の失脚もあり一時退くが,ペリー来航もあって幕政に復帰し,下田開港・反射炉の建設・露船君沢船の建造等先駆的事業にあたるが,中途にして病没。その構想は,近代兵制に先駆したものとして評価されている。
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