●栄禄 えいろく
アジア 中華人民共和国 AD1836 清
1836〜1903 (道光16〜光緒29)清末の官僚,満洲正白旗人。姓は瓜爾佳(グワルギャ)氏,字(あざな)は仲華,諡(おくりな)は文忠。西太后の甥で光緒帝の従弟にあたる。1852年(咸豊2)工部主事となり,以後内務府大臣・工部尚書などをへて日清戦争(甲午中日戦争)中は歩軍統領となり軍務に参与した。1895年(光緒21)兵部尚書・総理各国事務大臣となり,のち袁世凱を推挙して新建陸軍を編成,董福祥の甘軍の北京への移駐を行い,1897年(光緒23)には西洋の教練をとり入れ武備特科を設けることを奏請するなど軍政に活躍した。1898年(光緒24)の戊戌変法の開始直後に直隷総督兼北洋大臣として北洋三軍を統率,袁世凱の密告を受けてクーデターを実行した。政変後は軍機大臣となり北洋海陸各軍を節制,また正規軍の整備統一と軍備充実をはかり武衛軍を編成し自ら中軍を率い南苑に赴任した。さらに,光緒帝の廃立問題にも深く関与していた。義和団事件にさいしては平和的解決をはかりしばしば鎮圧を要請した。8カ国連合軍の北京攻略後には,留京弁事大臣となり事役処理にあたり,のち西安行在に出仕して督弁政務大臣として新政に参与した。1902年(光緒28)還京後,太子大保・文華殿大学士を加えられたが,翌年病死した。その娘はジュンシンノウサイホウ※注1※に嫁し宣統帝を生む。著書に『栄文忠公集』4巻があり『近代史資料』1983〜84(中国社会科学出版社)にはその抄録がある。
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