●叡尊 えいそん
アジア 日本 AD1201 鎌倉時代
1201〜90(建仁1〜正応3)鎌倉中期に活躍した僧侶。父は興福寺の学侶慶玄。17歳で醍醐寺円明房叡賢を師として出家し密教を学ぶ。そののち戒律の重要性にめざめ,1235年(嘉禎1)西大寺に住することになった。翌年東大寺において覚盛・円晴・有厳とともに自誓受戒し比丘となった。そののち大和を中心に近畿の各地を巡り,戒を授け殺生禁断を説き,西大寺律宗をひろめた。1262年(弘長2)北条実時の請により鎌倉に下向し,関東武土の帰依を集め,翌年帰洛した。1269年(文永6)般若寺において無遮の大会を行い,非人3,000人に対し人別に米1斗を施与するなど非人救済にも力を尽した。文永・弘安の役にあたっては,四天王寺・伊勢大神宮などで蒙古調伏の祈祷を行った。これが機縁となり皇室・貴族の帰依を得るようになった。1284年(弘安7)四天王寺別当の宣旨を賜わる。1290年(正応3)入滅。90歳。1300年(正安2)興正菩薩の号を勅賜される。〔参考文献〕和島芳男『叡尊・忍性』1958,吉川弘文館
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