●営田 えいでん
アジア 中華人民共和国 AD
土地を耕す,農耕をいとなむというのが,その語義であるが,中国史においては広く官による田地の開墾経営とその耕作地を意味した。同時に軍糧の生産を目的とすることが多かったので,唐宋時代には屯田ないしその経営を含む場合もあった。強いて両者の別をいえば,屯田が沿辺の地で軍兵を用いて耕作させたのに対し,営田は内地で軍兵と民戸をゾウヨウ※注1※して耕作させ,のちには民戸を募集して小作させるようになった。南宋時代になると,金国との交戦,防衛のため淮南およびそれ以西の沿辺地域で,荒廃地の開墾と軍糧の供給を目的として営田経営が盛んに行われた。その田地を営田官荘と称し,その経営は土豪を荘監に選び,1荘5頃(けい)で,5家を1甲として甲頭を置き,家屋・牛・農具・種子などすべて官から支給した。その収穫は官4分・民6分あるいは均分であった。このように営田経営が荘園制ないし佃戸制によって行われたことは,宋代の特徴である。
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