●映像人類学 えいぞうじんるいがく
AD
映像には静止した「写真」と動く画像をもった「映画」があり,文化人類学・民族学研究にそれらを応用したものが映像人類学と考えられている。その中心となっているのは,現実の事象の映画による記録・研究であり,それが民族誌映画と呼ばれている。映像による記録は優れた写実性と現実感を写えるので,視覚的民族誌となるからである。【民族誌映画の歴史】1895年,フランスのリュミエール兄弟が映画を発明する以前に,民族誌映画はすでに考えられていた。映画の発明にいたるプロセスそのものが,人体や動物の行動分析のための映像づくりから出発し,人類学と深いつながりをもっていたからである。1885年,パリのエッフェル塔の下で開催された「西アフリカ民族誌展」では,マレーが考案したクロノフォトグラフィを用いてアフリカ人のさまざまな行動を分析する連続写真が公開されている。このときから,フィルムによる(映像)録画と(音声)録音は将来の民族学研究にとって重要な役割を果たすことが予見されていた。そして,音と映像を展示場でみようとする構想は,その後90余年をへて日本の国立民族学博物館で実現することになった。この構想の実現が遅れた原因は,リュミエールの映画発明以後,映画の道が科学的利用よりも芸術的創作の方向へ発展したからである。映像を本格的に人類学に応用したのは,1930年代にマーガレット=ミードとグレゴリー=ベイトソンの二人がバリ島の研究に映画撮影を導入したのが最初である。彼らは現地における家族内コミュニケーションの研究に映像を利用した。民族学研究のために民族誌映画を定成させたのは,マルセル=モースに師事していたフランスのジャン=ルーシュであった。彼は,1945年以来,ニジェールを中心に数多くの学術的研究映画を制作した。また彼は,1960年代に誕生したシネマ=ヴェリテ(真実映画)の先駆となった「ある夏の日の記録」をエドガール=モランと共同制作して世界的に知られることになった。一方,1952年にドイツのゲッチンゲンでは,観念的なテーマを避けて,物質文化・行動のみを記録する目的でゴットハルト=ウォルフを中心に人類学フィルム保存館,エンツィクロペディア=ツィネマトグラフィカが設立された。
以上の映画映像による民族学・文化人類学的研究には,およそ三つの研究パターンが考えられる。[1]日常の生活におげる人間行動を詳細に記録したフィルムの分析による人間関係の研究。[2]モノグラフとしてつくりあげた映画作品の現実時間と動きの視覚的再現や,映画内容のコンテキストを通じて,撮られる側の文化全体を対象とする研究。[3]物を制作する技術的解説や人間行動に関する短いフィルムの心理的側面の分析科学の研究。
【定義】民族誌映画の定義は,技術の進歩とかかわりつつ,民族学・人類学の歴史的変遷とともに変化しており,いまだに統一されていない。しかしどの定義にも共通してみられることは,次の3点である。[1]科学的な目的をもって記録された研究用フィルム。[2]撮影・制作が研究者自身によるものであること。[3]文化規範に関係する人間行動の映像による記録。さて,具体的に映画が民族学に応用される場合には,次の三つの視点が考えられる。[1]「撮られる側」の事象そのものに関する文化人類学的・民族学的研究。[2]「撮る側」の人々の映像表現に関する文化的基本概念の対照・比較・分析的研究。[3]観客の文化によって異なる反応の比較研究。この観客のなかには,撮る側の人々,撮られる側の人々も含まれている。以上三つの視点は,媒体がすべて,映画映像であることを前提条件とするものであって,「撮る主体」「撮られる客体」「一般観客」の三つの研究対象のうち,「撮る主体」はいずれの研究分野にも関係する。「撮られる客体」のほうは,客体側の文化研究に関係することが多い。この三つの視点を組み合わせることによって,民族学・文化人類学の総合的な研究としての民族誌映画が成立するのである。
映像による異文化の比較においては,説明されにくい行動様式や象徴的な場面展開をどのように映像に表すかが問題となる。しかし,文字が具体的行動様式を表現しにくいように,映画のほうは抽象的表現がしにくいのである。すべての問題が解決できなくても,今後は映画映像から民族学の新しい研究方法を触発し,テキスト論文からでは読みとれない重大な問題を思い切って引き出すことを促し,文化人類学の総合的な研究に貢献することが期待される。