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●栄西 えいさい

アジア 日本 AD1141 平安時代

 1141〜1215(永治1〜建保3)栄西は諱で道号は明庵(みんなん)。建仁寺の開山。葉上(ようじょう)房,千光法師とも称した。備中吉備津宮の社家・賀陽(かや)氏の出身。はじめ叡山で天台を,ついで伯耆の大山で密教を学び,1168年(仁安3)4月宋に渡り,天台山・阿育王山を訪ね,南宋禅にも触れて同年9月帰朝,天台の新註解書60巻を将来した。帰朝後19年目の1187年(文治3)再度入宋,臨済宗黄龍派の虚庵懐敞(きあんえしょう)に参じてその法を嗣ぎ,1191年(建久2)帰朝,博多に聖福(しょうふく)寺を開創し,北九州に禅宗を拡めた。叡山を中心とする旧仏教側は,朝廷を動かして1194年(建久5)禅宗を禁じた。上京した栄西は1198年(建久9)『興禅護国論』3巻を著して反論したが,叡山側の迫害を避けて鎌倉に下り,将軍源頼家北条政子の帰依を得て寿福寺を開創,ついで頼家の援助で京都に建仁寺を創建したが,台密禅三学兼修の寺とした。1215年(建保3)6月5日示寂。『喫茶養生記』の著がある。

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