●永享・嘉吉の乱 えいきょう・かきつのらん
アジア 日本 AD1438 室町時代
1438年(永享10)室町幕府第6代将軍足利義教と鎌倉公方足利持氏との不和対立が発展して,箱根を初め関東各地で合戦したのが永享の乱である。結果は幕府軍の勝利となり,持氏は鎌倉に退いたが翌年自殺した。1441年(嘉吉1)かねてから将軍義教の独断専横な幕政の決裁に不安と怒りをもっていた播磨の守護赤松満祐が,はかって自邸の結城合戦の戦勝祝宴に義教を招き殺した。しかし,幕府は細川・山名氏に赤松氏の領国を攻めて一族を滅亡させた。これが嘉吉の乱である。兄弟4人のなかから“くじ引き将軍”としてひき当てるほどに失墜していた将軍の権威と幕政の強化につとめた義教の諸施策は,嘉吉の乱後に有力な大名たちの権勢争いを生じ,同時に各地での頻発した土一揆が幕府権力の弱さを表面化させた。やがては,1467年(応仁1)から勃発した応仁の乱につながる誘因として意義づけられる。