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●雲南問題 うんなんもんだい

アジア 中華人民共和国 AD 

 アヘン戦争・アロー戦争により開国した後もいぜんとして閉鎖されていた雲南省に,その資源・通商権の獲得を目的として進出したイギリスを中心とした欧米列強が,中国とのあいだにひきおこした諸問題の総称。1868年(同治7)イギリスはビルマ−漢口間の商路探険隊を派遣したが,領事書記官マーガリー騰越(騰衝県)付近で土民に殺される事件がおきた。イギリスはこの事件を口実として1876年(光緒2)芝罘(チーフー)条約を結び,国境貿易を初め多くの権利を獲得した。1896年(光緒22)フランスが竜州鉄道建設の承認を得ると,イギリスはこの措置に対抗して,翌年には梧州など3カ所を開市場とさせ,将来雲南鉄道とビルマ鉄道の連結をはかることなどを認めさせた。しかし雲南・ビルマ国境はなお不明確であり,1911年(宣統3)よりイギリスは,ビルマから雲南・四川・チベットヘの拠点である片馬(ピーマ)地方に出兵し(片馬事件),さらに1933年(民国22)には,金・銀・宝石の産地で境界未画定の班洪地方を占領した(班洪事件)。これらの事件は交渉未解決のまま戦後の中華人民共和国とビルマとの交渉にもちこされ,1960年(民国49)に正式に国境条約が締結され,その付件である国境議定書が翌年に北京で調印されて,約100年にわたる国境問題は最終的な解決をみた。