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●雲崗石窟 うんこうせっくつ

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 中国山西省北部大同の西方約20kmの地雲崗にある石窟寺院。大小40あまりの石窟が東西に1kmに連なっている。5世紀には華北は北魏の支配下にあり,都は大同にあった。460年代沙門統であった僧曇曜は,諸席の供養のため5カ所の石窟を開いた。そののち孝文帝の洛陽への遷都まで35年間,大規模な造営が続いた。洛陽遷都後は,郊外の竜門石窟の造営が主となり,雲崗の石窟造営は下火になった。しかしその造営は,小窟の開さくなど北魏末まで続けられた。石窟の構造としては,前期は,平面が長円形,天井はドーム形で,窟全面に大仏が彫られている。後期は,平面が長方形,天井は多く格子形で,石窟を建築的に構成している。仏像は,ガンダーラ様式・グプタ様式の影響が濃く,中央アジアとの関連性がうかがえる。素朴で野性味もあり,北魏拓跋族の独自性をも内包する。釈迦像が最も多く,弥勒菩薩(みろくぼさつ)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・文珠菩薩(もんじゅぼさつ)・維摩居士(ゆいまこじ)がかなり多くみられる。そのほかシバ神ヴィシュヌ神などのインドの諸神も多くみられる。時代をへるにつれて着衣に変化が現れ,顔も丸顔から長円のいわゆるうりざね顔に変わった。体つきもなで肩で長身となる。末期にはとくにこの傾向が強くなった。雲崗石窟は,のち竜門・天竜山などの諸石窟に影響を与え,六朝仏の基準となるほか,遠く日本の推古仏にも影響している。