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●ウラマー

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 アラビア語で学者を意味するアーリムの複数形。イスラームに固有の伝統的諸学を修得した人々をさす。具体的にはクルアーン解釈学・ハディース学・神学・法学といった学問を修め,社会生活では学者・裁判官・教師・礼拝の導師・クルアーン読誦者・モスクの管理者といった仕事に従事している。ペルシア語ではモッラーと呼ばれ,シーア派ではモッラーのなかでも学識・宗教心がとくに秀でた人物には,アーヤトッラー(アッラーの徴)という称号が与えられる。イスラームはあらゆる信者を同列におき,いかなる人間にも宗教的特権を認めない。したがってウラマーは,キリスト教における聖職者のような特権的地位を享受しているわけではない。この点を見落としては,彼らの実態,社会的機能を基本的に見誤ることになろう。ウラマーは,教学を修め,その成果によりながら護教,宣教,あるいは宗教儀礼の指導などの任にあたるが,いささかも特権的な存在ではなく,いわばイスラーム関連諸学を専攻した伝統的文化人なのである。

 イスラーム文化はウマイヤ朝を準備期として,アッバース朝のころに絢爛と花咲くが,ウラマー勢力の拡張もまさにこれに比例している。アッバース期は,厖大な版図を統治するにふさわしい一定の理念,法体系を確立するために,さらには種々の官僚機構を能率よく運営するために,ウラマーの積極的な協力を求めた。このような王朝の基本姿勢,文化振興政策により,イスラーム文化人であるウラマーの地位は著しく上昇し,一つのゆるぎない階層を形成していく。ウラマーが研究・教育の面で主導的な役割を演じたのは当然である。高等研究機関・各種教育機関のポストは彼らによって占められた。また種々の行政職も彼らを必要とした。とりわけ司法部門は,完全に彼らの掌中にあった。公的な法解釈を下すムフティー職・裁判官・公証人などの公的地位のみならず,私的な法律問題の解決ももっぱら彼らの手にゆだねられた。イスラーム法の範囲は他の法に比べてはるかに広汎であり,税務・商行為・市場監督といった経済問題までもが法学者の守備範囲に入っている点は看過されてはならない。公職につかない場合でも,彼らはその居住する地域社会で,宗教活動を基礎に人々の信望を集め,そこで指導的な役割を演じていた。聖職者としての特権をもたぬ彼らは,人々の支持を得るために,自ら努力して獲得した学識と,卓越した人格,宗教心に頼るしかなかった。それゆえ彼らは,意識的にそれらの美徳を発揮しなければならぬ立場におかれたし,また実際にそうすることにより民衆から強い支持を受けた。俗権の変遷はあっても,ウラマーは地域社会の信望を掌握していた。同時に彼らは,師弟関係・姻籍関係・同業者意識などを基礎に,強い連帯の絆をもっていた。彼らの組織は,あらゆる地域に網の目のように張りめぐらされていたのである。軍事的な力をもたぬウラマー層は,俗権の長となる機会は稀であった。ただし彼らは,いたるところで俗権に対し権力の二重構造を形成するほどの力をもっていた。したがって為政者は,支配の安定をはかるために彼らの協力を必要とした。他方彼らは為政者にイスラーム法の遵守を要求し,為政者がこれを怠ったり過度の不正に走ったりすると,民衆とともに立上がり反抗した。ただしウラマーにも問題がなかったわけではない。彼らのなかには為政者に迎合する者もあった。また時代の推移に鈍感で,旧態依然たる伝統的宗教観を信者に押しつけがちであった。ウラマーが当然果たすべき義務を怠れば,人々は彼らを見放した。近・現代ではこの傾向はとりわけ顕著であった。しかしウラマーの身上は,不正に対して断固戦うことを美徳とする宗教について学び,その心を体現している点にある。それゆえ民衆は,しばしば公共善の擁護者である彼らの指導のもとで,驚異的な盛り上がりを示した。最近のイラン革命においても,その主役を担ったのがこの伝統的文化人たち,ウラマー層なのである。