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●浦上玉堂 うらがみぎょくどう

AD1745 

 1745〜1820(延享2〜文政3)江戸後期の画家。姓は紀。名は弼(ひつ)。字は君輔。岡山池田藩の支藩鴨方藩の藩士の家に生まれる。数え年30歳,玉堂は江戸勤務となったが,このころ,幕府の医官多岐藍渓について琴を習った。玉堂という号は,手に入れた中国製の七絃琴の銘“玉堂清韻”によって玉堂琴士と号したのに由来する。妻に死別した玉堂は,1794年(寛政6)に春琴・秋答という2人の子息を伴い,城の崎温泉に遊び,脱藩して琴を抱えての放浪生活に入った。画家としての玉堂は,池大雅と並び称されるほどの優れた南画家だったが,誰に学んだかは明らかでない。おそらく独学だったのであろう。残っている作品は,60歳以後のものが多く,すべて水墨の山水画である。それは心にしみた風景を形式にとらわれないで表現したものであった。代表作には,川端康成記念会蔵の『東雲篩雪図』(とううんしせつず),梅沢記念館蔵『煙霞帖』などがある。