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●梅津-何応欽協定 うめづ-かおうきんきょうてい

アジア 日本 AD1935 

 1935年(昭和10・民国24)6月10日華北への勢力の扶植をはかるため,日本軍司令官梅津美治郎が中国の軍事委員会北平分会主任何応欽と結んだ協定。塘沽停戦協定を結んで河北省の東北部に非武装地帯を設けるのに成功した日本はさらに勢力拡大の機を窺っていたが,孫永勤軍の停戦地域での活動,天津日本租界での親日中国人暗殺事件など大小50余りの排日・事件が続発したのを利用し,塘沽協定の破壊行為であるとして,武力示威をもって中国政府代表何応欽を圧迫して要求を容認させた。(1)国民党の支部中央軍などの河北からの撤退,(2)河北省主席の罷免,(3)国民党の反日運動の禁止などを内容とするもので,何応欽は承認を渋ったが,酒井天津軍参謀長酒井大佐は6月9日期限つきの回答を迫り,何応欽はやむなく6月10日口頭で受け入れを伝え,7月6日文書で回答した。この結果河北は国民政府から切り離され,日本の華北侵略の姿勢が強化されていった。

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