●右弁官 うべんかん
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律令官僚機構の庶務中枢の一つ。源流は678年(天武7)10月を初見とする大弁官(おおともいのつかさ)であり,官僚機構の庶務を担当する官職であるとともに官司でもあったが,狭義の太政官つまり納言(なごん)と,並列関係か上下関係であったかは見解が分かれている。ついで701年(文武5)正月に左大弁がみえ,浄御原令で左・右弁官に分かれたとみられる。大宝令官制では最高官庁である太政官の事務局の一つとして,少納言局・左弁官局とともに太政官三局と呼ぶ。兵部・刑部・大蔵・宮内四省の文書を受け付けて,庶務を監督・処理し,また宣旨・官符・官牒などの発布を行った。右大弁(正4位上相当官)・右中弁(正5位上相当官)・右少弁(正5位下相当官)各1人が定員で,家柄で有能な官僚が任命され,右大弁は参議に列するのが一般的であった。右中・少弁には権官が置かれることがあったが,やがて実務は官務家の小槻氏に移った。