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●宇文融 うぶんゆう

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 ?〜729 中国の唐代の政治家。京兆・万年(陝西省西安市)の人。北周宗室の末裔にあたり,隋・唐の支配層を担った北朝系門閥貴族のなかでも名門の出といえ,曽祖父と祖父はそれぞれ隋・唐(高宗朝)に宰相をつとめている。融はその家格によって,開元の初め715年(開元2)ごろに地方官として官途につき,720年(開元8)監察御史として中央政庁入りした。当時,均田農民の破産・逃亡とそれに伴う豪族・地主層による均田地の不法兼併が進行して,均田・租庸調制に深刻な影響を与えていたので,721年(開元9),融は括戸政策を建議して玄宗に認められ,723年(開元11),勾当租庸地税兼覆田使に就任して括戸を全国的に施行し,1年余で大きな成果をあげた。しかし,その急酷なやり方には問題もあり,地主・官僚層の反発もあって宰相張説らの攻撃を招いた。融は逆に張説を弾劾して失脚させ,自らは729年(開元17)に宰相に登ったが,玄宗の忌疑を受けて100日にして失脚し,ついで不正を弾劾され,嶺南に流される途中で没した。