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●産神 うぶがみ

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広義には出産・育児に関与する神。狭義には出産に立会う神。

【子授け神】子供がほしいのに生まれない・産めないということは、いつの時代にも不幸なことと考えられたので、あらゆる手段を講じ、どこの神仏にも祈願し、どんな呪法でも試みようとするのが、人情の自然である。イエの継承を絶対視した時代や社会においては、子供が産めない妻は離縁の原因にさえなった。しかし、産科・婦人科の医学のすすまなかった時代には、子供は授かりものだと考えられ、温泉につかる程度しか有効な手段はなかった。各地に“子授けの湯”と称する温泉が数多くある。子供のほしい女性が、深夜密かに男根形の道祖神をまたいでくるなどの呪法も、広く知られている。村氏神をはじめ、あらゆる神仏に祈願をこめることもある。逆にいえば、妊娠・出産を祈願する神を、すべて産神と呼ぶことには無理があるというべきである。

【子安神】安産を祈願すれば、聞き届けてくださると信じられている神である。“お産は女の大厄”といわれるように、場合によっては生命の危険を伴うものであったから、もっぱら軽く早く安産できることを祈念する。各地には、それぞれの村や集落の近くに、子安様・子育て観音・穴守稲荷・子安地蔵などがあって、出産前にそこに奉納されている枕を一つ借りてきて、安産できると枕を二つもってお礼まいりに行ったりする。鰐口(わにぐち)に下がっている紐を奉納するところもある。底抜け柄杓を奉納するのは、底に穴のあいた柄杓で水を汲むとザッとこぼれる。それと同じように、安産できるようにとの連想呪術にもとづく。祭神に関する神話や伝説のなかに、少しでも出産にまつわる話でもあると、そういう神仏が安産の専門神仏とされるのである。また近くに社のない神様でも、安産の神仏として広い信仰をもつものがある。秋田県の唐松様・宮城県の塩釜様や小牛田(こごた)の山の神・東京の水天宮・静岡県浜北市の岩水寺・和歌山県の淡島様などがある。信仰のありかたは流行性のもので、神人が広め歩いたものもある。

【出産に立ち会う神】子授け神や子安神が、一応社殿や仏像という形をもっているのに対して、出産に立ち会う神には何の偶像もない。産神様は出産の部屋の障子の桟に腰かけておられるとか、鴨居のうえにとまっているとして、身近に産神の加護を信じている伝承がある。出産のときに山の神を迎えに行く風習も広い。出産が近づくと家族が馬に鞍をおいて引いて行き、途中で馬がつまずくとか動かなくなるとか声を出すとかすると、山の神がお乗りになったとして家に帰ってくる。また出産の前後にはお椀に飯を盛って産神に供える。産飯という。たいてい産室のなかの、衣びつやたんすの上に置き、7日間は毎日供え替え、7日目になると産神は産室を離れると考えている。産神の一種に箒神というのもある。出産にあたって箒で産婦の腹をなでるとか、出産の部屋に箒を逆さに立てるとか、箒神が来臨しないと分娩できないとかいう。この場合の箒は、産神を迎える依代(よりしろ)の意味をもつものである。日本では神と霊との区別が明確でなく、出産に立ち会う産神というのは、赤子の体に付与すべき霊魂のことである。霊魂信仰では、霊肉がそろった状態で、初めて人間の生があると考えられていたのである。

【赤子の守り神】子供の健康を守り、災厄などを防いでくれる神。子育ての神。赤子が眠っていて、ひとりでに笑ったような表情をしたとき、産神様があやしているのだという伝承は広い。昔は幼児の死亡率が高かったから、丈夫に育つようにとの念願も痛切であった。ただし神の性格は明確でなく、前三者の神仏とも入りまじっている。とくに地蔵様は、子供を守ってくださるものとされ、路傍の石地蔵にもよだれかけをかけたり、頭巾をかぶせたりして祈念し、子供が地蔵にいたずらしても叱らない。

〔参考文献〕大藤ゆき『児やらい』1968、岩崎美術社