●右兵衛府 うひょうえふ
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古代律令制で,天皇・皇后を守り,京中の警察の任にあたる役所を衛府といい,初め五衛府,のち六衛府が設置されたが,そのなかで天皇の親衛軍として平安宮内裏の警備・儀仗・左右京中の巡検,行幸・行啓の供奉などの任にあたる兵衛の属す役所を兵衛府といい,左右の二つが置かれた。したがって右兵衛府というのは,天子南面からみて右側すなわち,内裏の西方に配備された方の兵衛府をさす。具体的には,内裏西面中央の内部門である陰明門(または外郭内である宜秋内)に置かれたつぶよりの戦闘集団からなる役所であった(兵衛府の組織・構成については「左兵衛府」の項を参照)。【右兵衛陣】右兵衛府の置かれた陰明門(または宜秋門)のことを,また右衛陣と呼んだ。陰明門については,三門一戸で檜皮葺きの切妻造りだったらしく,門の東面に庇があった。門の内外左右には,右兵衛督宿所など。多くの候所が建てられていた。