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●宇宙観 うちゅうかん

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 人類は誕生のときから,天を仰いで宇宙の存在を知り,各民族特有の宇宙観を抱いたが,時代の経過,文化の発達に伴って,その宇宙観も大きく変遷した。

【古代の宇宙観】古代の民族は,民族ごとにそれぞれ独自の神話を有し,神話的な宇宙観を抱いた。たとえば,古代インドのある民族は,世界は大きな亀の甲羅の上に立っている3頭の象の背中で支えられていると考え,古代エジプト人は,彼等の崇拝する大陽の神ラーが毎日ボートに乗って,天のナイル川をわたると考えた。また,初めて星座を考えた古代カルデア人は,大地は大洋で囲まれ,大洋はまた高い壁で外側を囲まれ,その上に釣鐘形の天井がおおいかぶさっていて,天井の東西に開かれた穴を通して太陽が出没することにより,昼と夜ができると考えた。中国にも,もちろん神話的宇宙観があったと思われるが,はっきりと伝承されたものがない。しかし,前3000年ごろには,早くも月と太陽と惑星を描いた天球図が存在し,日食の予報や,ハレー彗星,太陽黒点の観測等が行われたことを示す世界最古の記録が残されている。前200年ごろの前漢中期になると,天が蓋のように地をおおっていると考える“天蓋説”と,卵殻形の天が卵黄に相当する地球を囲むと考える“渾天説”が盛んに論争された。しかし,その後は占星術が発達して科学的天文学を駆逐してしまった。一方,前160年ごろの古書『淮南子』には,初めて“宇宙”のことばがあらわれ,“宇”とは天地四方,“宙”とは古往今来と定義しており,宇宙を時空間的に捉えたものとして非常に興味深い。ちなみに,日本には7世紀ごろに,天文学というよりは占星術に近い形のものが,中国から朝鮮をへて伝来したことが『日本書紀』の「推古記」にみられる。前記のカルデア人の天文知識は,やがてバビロニアをへてギリシアにわたり,そこにエジプトから伝来の知識も加わって,〈万物のはじまりは水である〉と論じたターレスや,〈地球は球体である〉と唱えたピタゴラスなど,多彩な哲学的宇宙観が開花した。その一人でもある古代最大の天文学者といわれるプトレマイオスは大著『アルマゲスト』を著して,地球中心の天動説を主張した(120年)。この天動説は,ギリシアに代わってローマ帝国時代に入ると,強大な教会の力に支持されるようになって,以後1000年以上に及ぶあいだ,人々の宇宙に対する考え方を支配した。

【近代の宇宙観】ヨーロッパに再び文化の光がさしたのは,14世紀になってからである。船乗り達が遠洋航海に出るようになって,天体の動きから船の位置を知る術が必要となり,新しい天文学の発達が促された。15世紀に入ると,ポーランドの天文学者コペルニクスが現れた。彼は“天動説”に深い疑いを抱き,地球は太陽のまわりを回る惑星の一つにすぎないと考える“地動説”を唱えた。彼は自らの信念にもとづいて大著『天球の回転について』を著したが,教会の弾圧を恐れて発表を控えた。漸く出版したのは1543年,彼の死去の年であった。この書は,天文学史上画期的な価値をもつものであるが,難解のゆえもあって,出版後も教会に無視されたのみならず,学者間にもあまり理解されなかった。彼の計算の優れていることを最初に認めたのは,デンマークのプラーエであった。彼は20年に及ぶ精密な肉眼観測の結果,それを評価したのであるが,自分自身は天動説の支持を変えなかった。ついで,ドイツのケプラーは,プラーエの観測結果を整理して惑星の運動に関する三法則を発見し(1609〜1619),地動説を支持した。さらにイタリアのガリレイは,自らの発明した望遠鏡を用いて天体観測を行い,古代以来の宇宙観が誤りで,コペルニクス地動説が正しいことを確認した。しかし,この考えを発表した彼はローマ法王庁から厳しく注意され,『天文学対話』(1632)を出版すると直ちに禁書にされ,翌年には終身禁固刑を宣告された。その後,盲目の囚人となって減刑出獄を許されたが,〈それでも地球は回る〉と説を変えなかった。ローマ法王庁が自らの非を認めたのは,実に350年をへた1983年5月のことであった。イギリスのニュートンは,万有引力の法則や運動の法則を発見して,不朽の名著『プリンキピア』を著し(1666〜1687年),近代的宇宙観の確立にも偉大な功績を残した。また彼は,人工衛星の項に述べるように,その実現の可能性も予言した。

【現代の宇宙観】ガリレイ望遠鏡発明以来,宇宙をみつめる人類の視野は飛躍的にひろがり,人々の宇宙観も大きく変化した。年次を追っておもなものをあげると,天王星を発見した英国のハーシェルは,天の川の観測に情熱を傾け,視野に入る星を一つ残さず数え上げるべく努力を続けた結果,銀河系宇宙が凸レンズの形をしており,太陽はその中心より少しずれたところにあると発表した(1785)。銀河系の観測は,その後ますます精度を増したが,1918年に米国のシャプレイは,銀河系宇宙の大きさを計算し,太陽がその中心より大きくずれていることを発表して,太陽が中心近く位置すると信じていた宇宙観に大きな衝撃を与えた。ちなみに今日の計算によれば銀河系は直径約10万光年,厚さ約1万5,000光年の扁平レンズ形で,その中に含まれた約2,000億個の星の一つが太陽で,系の中心より約3万光年ずれたところに位置するものと考えられている。また,銀河系が数本の腕を出して渦巻き回転していることも見出されている。ところが,1932年に米国のジャンスキー銀河電波を発見して以来,電波天文学が急速に発達して,電波で見る限り,銀河系宇宙はほぽ球状をなすものと考えられるようになった。一方,米国のバーデ等の天文学者は,アンドロメダを始めとする各星雲が,銀河系とはそれぞれ別個の島宇宙であることを発見し,それらのデータを解析したハッブルは,〈星雲は大きなものほど,大きな速度で遠ざかりつつある〉という法則を見出した(1929)。これが,後の膨張宇宙論の先導役となった。それより先,ドイツ生まれのアインシュタインは,1905年から1916年にかけて相対性理論を完成し,それまでの時間と空間の概念や重力の効果についての考えを大幅に変えた。彼の理論によって,従来の天体観測における多くの疑問点が解明され,相対論的宇宙論とも呼ばれる進化宇宙論や膨脹宇宙論が確立されていった。宇宙の膨張に関しては,約150億年前にビッグ・バンと称する大爆発がおこって以来,絶え間なく膨張し進化を続けているという爆発説,宇宙は悠久の昔から未来永劫にわたって大局的な姿は一定不変という定常説,絶えず膨張と収縮を繰り返しているという脈動説などが唱えられていたが,現在のところでは大爆発説が有力である。しかしまだまだ不解明の点が多く,今後の研究を待つ以外にない。さて1957年10月に,最初の人工衛星スプートニクが飛行して以来,月や太陽系の諸惑星に関する従来の観念を大きく覆す事態が相次ぐようになった。とくに,アポロ宇宙船月面到達と宇宙飛行士達の踏査によって,神秘のベールを剥がれた月,バイキング探査機によって火星人や高等生物の存在が否定された火星,ボイジャーによって明らかにされた木星や土星の実態などが,人々に強烈な印象を与えた。今後,スペースシャトルなどによって大型天文台が宇宙軌道上に建設されると,天体観測はさらに格段に進歩し,人々の宇宙観もまた大きく変貌していくことであろう。

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