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●打毀し うちこわし

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 江戸時代に米価騰貴などによる生活苦を主原因として,都市下層民らによっておこされた暴動。米屋・質屋・酒屋などの富商がねらわれ,米などの略奪,安売りの強要を行った。百姓一揆とも関連が深い。百姓一揆のピーク時には,よく大都市の打毀しがみられた。幕末期には各地で発生し,江戸・大坂で発生した場合は,ときに無政府状態となり,幕府権力の弱体をさらした。とくに著しいものとして享保・天明・天保・幕未のものが知られている。

【享保の打毀し】1733年(享保18)に江戸でおこった打毀しが,大都市で発生した最初のものである。1732年(享保17)7月〜8月に,西国を中心とした虫害の発生は,米価の急騰をまねき,翌年正月,江戸で大規模な打毀しが発生した。幕府の御用米商人,高間伝兵衛は,貧民およそ2,000人に押し寄せられ大きな被害を受けた。『草間伊助筆記』には,〈江戸市中の者ども,船町高間伝兵衛本店へ弐参千人ほど打寄せて乱入し,家諸道具のこらず打ちこわし,家内の者どもけが人よほどこれあり,江戸市中大騒動になった。すべて高間伝兵衛が米を買い占めて高値に売り出して人々を苦しめたからである〉とある。これに対して,『徳川実紀』では表現がやや変わり,〈米商高間伝兵衛といへるもの,多く府内の米を買ひ置によれりとの流言〉によって,打毀しが発生したとしている。いずれにせよ,享保の打毀しは,江戸で最初に発生した,大がかりなものであった。

【天明の打毀し】1786年3月におこった越前勝山の打毀しから2年足らずのあいだに,北は東北から南は四国・九州にいたるまで,全国で百姓一揆や打毀しが相次いだ。それにとどめをさすように発生したのが,「天明の打毀し」で,〈江都開発以来未曽有〉のものであったという。1787年5月20日ごろから同月24日前後にかけて発生した。5月21日夜半に赤坂の米屋20軒が襲撃され,翌日には四谷・麹町・芝・新橋・本所方面から,江戸市中全域に拡大し,米屋や富豪が打毀された。この打毀しでは,加害者は家財などを路上に散乱させたが盗みは行っておらず,またすべての米屋や富豪らを襲っているわけではない。たとえば千住の伊勢屋長兵衛はかつて洪水のとき難民を救済したとして,打毀しはされていないのである。このときの打毀しは,ほかの場合と異なり,反田沼派によって意図的に行われたものなのである。このため江戸は治安の空白状態となり,幕閣内での人事もからんで,田沼政権の末期的状況が一段と深刻化した。またこの打毀しでは下層民ばかりでなく,浪人や下級商人が加わっていたことも注目に値する。享保ならびに天明の打毀しは,江戸で発生した特徴的なものであった。このほか,天保年間(1830〜1843)にも連続しておこっている。とくに大坂を中心に天保4年・7年・8年と続き,1837年(天保8)に発生した大塩平八郎の乱も,これらのなかに含まれるものである。幕末期には,1866年(慶応2)江戸と大坂でおこった大規模なものは,幕府倒壊に結びつく性質のものであった。