●宇多天皇 うだてんのう
AD867
867〜931 第59代天皇(在位887〜897)。諱は定省(さだみ)。父の時康親王(光孝天皇)即位直後、臣籍に降り源朝臣の姓を賜ったが、父帝に寵愛され、仁和3年(887)21歳で急に即位した。それは藤原基経の推挙を得て実現したのであるが、基経に万機関白させるとの優詔をも曲解して天皇に制肘を加えた事件(阿衡の紛議)に反発し、また母が班子女王(桓武天皇孫)で藤原氏と自由な立場にあったので、基経の死後、積極的に親政を展開した。特に菅原道真などを抜擢して中央・地方の政務を刷新したので、後世「寛平の治」と称えられている。しかし、寛平9年(897)31歳の若さで皇太子敦仁親王(醍醐天皇)に位を譲り、2年後に仁和寺で出家し初めて法皇と称した。天皇は和漢の学にすぐれ、しばしば歌合を催している。宸筆『周易抄』や在位中の漢文日記『宇多天皇宸記』10巻、譲位の際新帝に与えられた『寛平御遺戒』などからも、高い見識と豊かな人間性をうかがうことができる。出家後は密教の研鑽修行につとめたが、醍醐天皇の親政に間接的な影響力を持ち続けた。承平元年(931)仁和寺御室(おむろ)で崩御(65歳)、裏山の大内山陵に葬られた。居所により宇多院とも亭子院とも称され、法号を金剛覚という。
〔参考文献〕所功編『三代御記逸文集成』1982、国書刊行会
所功編「寛平御遺戒の復原試案」史学文学5−3、1968