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●氏神 うじがみ

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 古代社会で氏族が祭った一族の神。現在の氏神は,一定の地域に住む全住民を氏子とする村氏神,イッケ・マキとよばれる同族を氏子とする一家氏神・家屋敷の祠にまつる家敷(氏)神などの意味を含んでいる。氏神を祭ることは古くから行われており,その神は一般に氏の祖先神と考えられていた。たとえば中臣氏は氏祖にあたる天児屋根命,忌部氏は天大玉命を祭っていた。中臣氏から出た藤原氏は天児屋根命を祭るほか,関東の香取・鹿島の二神をも氏神として祭ったが,この二神は祖先神ではなく一族の守護神であった。祖先神ではないのに氏神とされた例は多い。源氏と石清水八幡宮,平氏と厳島神社,橘氏と梅宮,平野社と源氏・平氏・高階氏・大江氏などの例があげられる。氏神の話は『万葉集』巻3の380番歌の左注に〈天平5年冬11月を以て,大伴の氏神に供え祭る時,聊かこのうたを作る〉とあるのを初見とする。この歌から氏神祭が11月に行われたことが知られる。また正倉院文書に,771年(宝亀2)4月に安宿広成が〈私神祭祀〉を名目に3日の休暇を申請した例がみえるのも,祖先神祭であったと思われる。このように奈良時代の氏神祭は4月と11月に行われており,官人であった氏人は休暇を申請して郷里に帰り氏神を祭っていた。895年(寛平7)12月3日の太政官府(類聚三代格)に,〈諸人の氏神は多く畿内にあり毎年2月4月11月云々〉とあって,氏神祭は春の2月または4月と秋の11月に氏上を中心とする氏人によって行われていた。2月は祈年祭,4月は大忌祭・竜田祭,11月は新嘗祭など重要な稲作儀礼の行われる月であり,氏神祭がこうした月に行われたのは偶然ではない。平安時代の国史には,氏神祭のため五位以上の官人が出京することを許し旅費を与えた記事がみえる。氏族制度や律令的郡郷制の崩壊した中世社会において,氏神は土地の守護神である産土神と混同されるようになり,氏神は氏族の神から土地の神へと転化した。