●羽後 うご
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幕末,東北戊辰戦争で勝利をおさめた明治新政府は,1868年(明治1)12月,「朝敵」東北諸大名を処分するとともに,占領地・東北を再分割し,古代の国郡制をもって再編成することとした。すなわち,旧来からの出羽国(東北日本の西部)を南北に二分し,南に羽前国・北に羽後国を新たに分置したのである。そして,羽後国は秋田藩の専管するところとなった。その国域は,秋田・河辺・山本・仙北・平鹿・雄勝・由利・飽海(あくみ)の八郡にわたり,ほぼ現秋田県域(鹿角郡を除く)に相当する。飽海郡(現山形県の一部)をも羽後国に編入したのは,地勢上無理であったが,これは「尊王」秋田藩に対する論功行賞とも考えられよう。1871年(明治4)の廃藩置県によって,羽後国の支配区分は有名無実化する。しかし,羽後町・羽後銀行・羽後本荘駅など,地名・会社名・駅名などに冠せられて現在も少なからず使われている。
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